ユニークフェイス講演企画

Loading...

2010年11月1日月曜日

獨協大学リビング・ライブラリーに参加してきました!

行って来ました、獨協大学。

前日から台風の影響で、開催が危ぶまれるという危機がありながらも、無事開催されました。

今回は、あまり形式ばらずに、世間話でもするように話をして、結果、脈絡ない話になってしまって少し反省。

でも、気づいた事がありました。

それは、リビング・ライブラリーで、(マイノリティー)当事者が、「一般の人」に発信する。
その内容、本質は何か、という事です。

初めは、「ユニークフェイス」という問題を認識してもらう、社会的認知を上げる地道な取り組み、くらいに思っていたのですが、リビング・ライブラリーでそれをやるのは効率が悪すぎます(悪い意味で言っているのではないですよ。最後まで読んでね)。聞いてくれる人の数が圧倒的に足りないからです。単純に数の問題。影響を与えられる範囲が、ごくごく限られるという意味です。

だとしたら、「本」を「読みに」来てくれる人が持って帰る「何か」とは何か?

を、考える必要があると思った訳です。
単純に、社会的弱者や少数の人の、普段あまり聞けない話を興味本位で聞きに来る、では考えが浅すぎると、我ながらに反省。不勉強にも程があるな。

で、仕切り直しです。話を聞きに来てくれた人は、何を持ちかえるのか?

「気づき」これはすぐ出てきます。しかし、抽象的すぎる。
いや、抽象的である事は構わないのですが、僕の中ではスッと腑には落ちない。

何かなあ…。と、話をしながらずっと考えてました。

当事者である自分が、一般の人に対して与えられる「気づき」それは実際のところ何か?

はっ!

それは、僕は顔に痣はありますが、幸せに生きてますよ、という事ではないか?

顔に痣があっても幸せになれる。しかしその論理の裏には、顔に痣がなければ当然に幸せになれる、という論理の存在が必要です。

しかし、現代社会では、誰もが程度の差こそあれ閉塞感や、危機感にさらされています。

つまり、単純に「幸せです」と言える世の中じゃないのです。

と、なると、顔に痣がありながらも「幸せです」と発言する人間の存在は、ある意味レアです。

では、何でこの世の中で「幸せです」と言えるようになるのか?というところにポイントが移ってきます。

実際のところ、僕は、「まあいろいろあるけど、概ね幸せです」と言っているに過ぎないので、実情は他の方と大差ない訳ですが、これは「認識」の問題です。

自分が「幸せである」と認識する事が重要なのです。

いやいや、宗教の話をしているんじゃあありませんよ。


自分が「幸せ」と思える状況を、自分で作る工夫をしていますか?


自分が「楽しい」と思う事をやっていますか?やる工夫をしていますか?


自分を肯定的にとらえる事が出来ていますか?


そういう事を僕は言いたいのです。うん多分そう。

自分の人生を充実させたければ、自分で何かをやるしかない。
自分が得をするためには、自分で動かなければならない。

当然の事です。種を蒔かなければ木は生えないし、当然実も生らないのです。

しかし、「社会のせい」にしてませんか?「時代のせい」にしてませんか?「国のせい」にしてませんか?

そうやって、他の何者かに、自分の人生の責任を押し付けていませんか?

あああ、なんだか偉そうになってきたな。
僕は偉くはありません。
これは自分自身に対する問いかけでもあるのです。

「お前は何かに責任転嫁して分かったような顔してるんじゃないか?」

と、自分自身に疑問の言葉を突き付けているのです。

これ、なんだか重要な事のように思います。
なので、ここに記録、っと。

なんだかリビング・ライブラリーから話題がかけ離れてきたので、この話はここで終わり。

当日までの準備から、当日の運営まで、学生さんたちはよく頑張ったと思います。
大変だっただろうと本当に思います。

先日の駒澤大学でも、今回の獨協大学でも、学生さんたちは本当によくやったと思います。
もっと上手くやる事は出来るかも知れませんが、ベストを尽くしていた事は分かりました(褒め過ぎかな?)。頑張っている若い人たちを見るのは気持ちが良いものです。って、おっさん化しているな、自分。


「ゆき」さん。よく頑張りました。<誰だよ!(まあまあ、サービスですw)


今回僕に「本」としての参加の依頼に来た担当の学生さんと記念撮影。写真、大き目に載せといたぞ、と。

さてさて、今年はまだ終わりではなさそうですよ。
どうやら本当に明治大学さんでも「本」として参加する事になりそうです。
その辺はまたおいおい。まだ正式な話ではないのでね。