ユニークフェイス講演企画

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2010年11月29日月曜日

明治大学ヒューマン・ライブラリー

行ってきました。

当日は天気も良く、人がたくさん来てくれそうな予感を持ちつつ現地へ。

10:30からセッションが開始されました。
僕は一コマ目に予約が入らず(後で手違いだと分かったのですが・・・)二コマ目からセッション開始。

6名の方と一対一でお話ししてきました。

僕のところは、何らかの当事者である方が多く来てくださり、一対一という場面設定もあり、話はすごく深いところへ。

振り返ってみると、人生相談のような様相を呈しておりました。

みんな、それぞれに生きていく上で課題を抱えており、同じくマイノリティーとして生きている僕の生き方や考え方を知りたいという感じでした。

故に、内容は僕の個人的な考え方についてのやり取りが大半を占め、さらに僕が自分につけた「本」のタイトルが「僕にとってはこの顔が普通です(^-^)」という、かなり開き直りモードなものであったこともあり、「明るい当事者」「楽天的な当事者」みたいな印象を持っていらっしゃる方多数。

「どうしたら、そんなに前向きに生きられるのですか?」的な質問が多い傾向がありました。

前にも書きましたが、僕は確かに「幸せです」と言ってはばからない人間ですが、実際のところ、人と比べて取り立てて幸せな要素を多く持っている訳ではなく、単に自分の暮らしの中に、「小さな幸せ」を見つける、または作る事によって、「幸せ」を感じられるように工夫をしている人間です。

僕の暮らしの中にだって、ネガティブな要素はたくあんあります。
離婚をした事は、精神的にも金銭的にもダメージがありました。
家を持っていますが、一人で暮らすのにこんなに大きい家は必要ありませんし、はっきり言ってローンだって楽じゃありません。
お給料だって、年々緩やかに減ってきています。

だけどですね、それでも「幸せ」と言える要因を作る事は可能なんです。

独りモンになったけれども、それによってプライベートの時間を自由に使えるようになりました。

軽自動車だけど、念願のオープンカーを手に入れました。

本だって、好きな時に読む自由を得ました。

ガールフレンドとデートに出かける事だって出来ます。

リビング(ヒューマン)・ライブラリーみたいなところに出て行って、人とお話しする機会を得る事が出来ました。楽しいです。

小さな事でも良い。毎日働いて、身の丈に合った楽しみを自分で見つけ、あるいは作り、それを大切に日々を暮らす。

大切なのは、「立ち止まらない事」。
ネガティブな思考にとらわれたり、失敗体験をすると、どうしても立ち直るのに時間がかかってしまいます。
でも、その時間は立ち止まってしまっている時間。

ゆっくりで良いから、一歩一歩進む事が肝心。

「後ろ向きになってしまって・・・」

そんな事ありません。人間、見えている方が常に「前」です。
自分がどっちを向いているのか?にとらわれ過ぎず、とりあえず進む事が大切です。

そりゃあ、後になったらちょっと間違った方向に進んでたなあ、という事はあるでしょう。
でも、気づいた時に方向を修正してやればいい事。

もう一度言いますが、一番怖いのは、立ち止まってしまう事。
立ち止まっている間にも、時間は流れていき、他の人たちは進んでいきます。
つまり、相対的に「後退」してしまっている。

だから「後ろ向き」に感じられるのです。
ゆっくり、一歩でもいいから、進みましょう。
何も、全速力で走れ!と言っているのではありません。
つらい時でも小さな幸せのために、一歩一歩進みましょう。
小さな幸せを集めましょう。

それだけで、自分の人生がより「生きやすい」ものになると僕は考えています。
今日、明日、の幸せが見えているだけでもいい。
いつか、もっと先の幸せに向けた目標に出会えるかも知れない。
そうしたら、そこに向かって進めばいい。

でも、失敗したからって落ち込みすぎる必要は無い。
小さな幸せがあなたを救ってくれる。

そんな話を一日中していました。

あれ?ヒューマン・ライブラリーって、そういうイベントだったっけ?
まあいいや、僕のところに来てくれた人はみんな、「良かったです」って言ってくれたから。

僕もある意味励まされました。
僕が考えている事を伝え、それに同意してくれる人がいたんだし。中には「激しく同意」してくれる人だっていたから。

それだけでも意味があったというもの。

そういう事で、明治大学ヒューマン・ライブラリーは幕を閉じました。
今年はこれでイベントは終わりです。

疲れたけど、達成感もあり、悪い気分じゃありません。
これをきっかけに、また違うアクションを僕も起こしていかなくてはいけないな。
まあ、ゆっくり考える事にします。

以上、明治大学ヒューマン・ライブラリーの報告でした。

2010年11月27日土曜日

ふと思った事

「情けは人のためならず」という言葉の誤用が多いという話をよく聞きます。

本来の意味は、「人に情けをかける事は、いずれ自らを助ける事になるよ」という意味な訳ですが、「情けは人のためにならない」という誤用が多いという事です。

でも、最近思うのは、世の中的に「人に情け」をかけても報われない感じになってきているのでは?という事です。

実際、自分も含めて周りを見回して観察していると、考えさせられる事が多いです。

僕が観察している中で発見した事は、

「身近な人からの情けほど軽んじられる」

一方で

「ちょっと離れた立場の人からの情けはありがたがる」

という事です。

具体的に話してみましょう。例えば職場での場合。

社外の人からのフォローなどに対しては、非常にありがたがって、なんとか恩を返そうとする人が多い一方で、同僚からのフォローは受けても当然、という態度の人、なんかがそうです。あるいは、同僚からのヘルプは平然と受けるのに、上司からのヘルプは大いにありがたがる。

仕事という事で、確かに外部の人(または上司)に対して恩を売り、または返す事は、理にかなっています。つまり、その後に帰って来るリターンにビジネス的には価値があるのです。

ところが、これがプライベートでも同じようなことが起きだすと、人間関係がおかしくなってきます。

例えば、恋人(あるいは夫、妻)が一生懸命フォローしてくれる事に対してはたいして感謝もしないのに、他の友人から親切にされるとやたらとありがたがり、お礼をしたがる。というものです。

確かに、恋人(夫婦)は、既に関係が出来ているので、そこにさらに「情け」という投資をする事は短期的に見るとあまり価値のない行為です。

そこへ行くと、外部である友人たちに「情け」をかけたり、かけられたりする事は、新たなメリットを生み出す可能性が高いので、投資する価値があると判断できます。

さて、ここで重要なのは、人の「感情」というやつです。金銭や、楽しみなど、目に見える形でのメリットがなくなり、その関係性自体に価値がある(はず)の場合です。
「釣った魚にえさをやらない男」とは、よく言われる事ですが、これが今の世の中では全体的に行われている傾向があると僕は見ています。男性に限りません。

そういう状況に、人がどれだけ耐えられるものなのか?
たいして耐えられないと思いますね。

そうするとどうなるかというと、恋人関係なんかは長続きしなくなりますよね。
実際、半年、とか1年、とかで別れるというパターンを繰り返している人が散見されます。

結婚関係でもそうですね。最近は離婚率が相当上がっています。
もちろん、全部がそうとはいえないけれども、ある程度の割合の人たちは、こういう「人との関係の取り方」に問題があって失敗しているのではないでしょうか?

短期的な利益にばかり目がいって、身近な大切な人に対する感謝が薄くなる。
そうすると、人は孤立化していく。一見見、仕事などではちゃんとやれているので気づかれにくいですが、プライベートを見たらひとりぼっち。という事が起こる訳です。

ビジネスでの関係は、あくまでビジネスであって、プライベートでの関係までを保障するものではありません。これは当然です。
プライベートの関係は、その人の人生に大きく関わる問題ですが、割とないがしろにされる傾向があります。

こういうのって、問題だよなー。
NHKで「無縁社会」というのをやっていますが、こういうのも関係しているんじゃないかなー。

本来、家族(恋人含む)の関係というのは、常に補強していかなければ継続して良い状態を作れませんから、昔の人はこれをすごく大事にしたんですよね。親には感謝しろ、とか子は大事にせよ、とか。
それが最近では様子が違ってきている。

はっきりした根拠は示せないけれども、僕はそういう風に感じています。
うーん。根が深いな。

2010年11月26日金曜日

近況報告

またまたお久しぶりの更新になってしまいました・・・。

先日のSkype会議ですが、参加希望者が10名を超え、どうやらSkypeの会議通話の制限人数を超えてしまったようでした。
なので、全ての人に参加してもらう事は出来ませんでした。ごめんなさい。

しかも、僕はMacに乗り換えたばかりで、MacのSkypeのバージョンがまたWinよりも遅れているために、僕はホストとしての役割すら果たす事が出来ませんでした。

うう、反省。

そもそもmixiの非公開コミュニティーである「レッドフェイス」の会議であった訳ですが、事情があってtwitterでも告知を打ってみたら、思いのほか参加希望の方が集まったのでした。

恐るべし、twitter。

Skype会議の方は、次回は12月12日に行う予定です。時間は2200時から。
今度はテーマを決めて、人数制限もする予定。
今のところ、テーマは「福祉」ですが、ちょっと一般の人には取っ付きにくいかな?という事もあり、「幸せ」について語り合えれば良いかな、と考えています。
「福祉」と「幸せ」って、意外と近い関係にあるんですよ。

さてさて、いよいよ明後日28日は、「明治大学ヒューマン・ライブラリー」ですよ。

個人的には今年最後のイベントになります。
当日は10:30〜を皮切りに、15:50〜まで8セッション(!)を行う予定です。
明治大学でのイベントは、基本的に1対1での対話になるようです。
かなり内容が濃いものになりそうですね・・・。
それだけの内容が用意できているか、心配ですが。<他人事か

現在、本業の方でもいろいろ忙しく動き回っているので、更新が遅れがちですが、このブログも続けていきますよ!

とりあえず明後日、お暇な方はどうぞ明治大学駿河台キャンバスまでいらっしゃいませ。
リバティータワー8Fで行われます。
お待ちしておりまする〜。

2010年11月14日日曜日

MFMSさんにお邪魔してきました!

お久しぶりの更新です。

さて、獨協大学のリビング・ライブラリー以来、目立った動きをとっていなかった僕ですが、昨日はMFMSの外川代表からお呼ばれして、ホームパーティーに参加してきました。

参加者はMFMSさんの関係者の方と、リビング・ライブラリーつながりの学生さん(なんと先生も一名参加されていました!)。

20名くらいはいたんでしょうか?数えなかったので分かりません・・・。

とにかく、半数以上の方とは初対面でしたが、いろいろな人とお話しできて、とても有意義な時間を過ごす事ができました。

僕個人の話をすると、11月28日に行われる「明治大学ヒューマン・ライブラリー」に参加する事が決定しました。

いや、何でも、僕が参加する事は決定済みだったそうですが、なぜか僕の携帯に連絡がつかず、どうしたものかと困っていた様子。
昨日、直接僕の担当であるレジェップさんに会う事ができて、ゆっくりお話ができたので、良かったです。連絡先もあらためてお伝えして、これで何とかなるかなー?

18時過ぎから参加したのですが、参加者が多く、とても全員の方とお話しする事はかなわず、23時前にMFMSさんを後にしたのでした(実はこの後大変な事になったのですが・・・)。

血管腫当事者としての話ももちろんしましたが、本業である福祉についての話もかなり盛り上がり、そういう意味でも楽しい経験でした。
いやあ、僕が普段仕事で感じていた事はやっぱり間違いじゃなかった!
同じように考える人たちがいるという事を知るのは、すごく励みになります。

これって、当事者同士でも同じ事なんですよね。
直接話をする事で、体験を共有できて、共感できて、同じように大変な思いをしている人はいるけど、みんなそれぞれに頑張っているんだ、と、はっきりと知る事ができるのです。
これはものすごーく、励みになりますよ!

という事で、今日はこれから「レッドフェイスSkype会議」です。もはや、レッドフェイスだけではなく、ユニークフェイス全体の活動になってきそうな気配があります。




で、昨日のオチですが。

急ぎ帰途についた僕は、半蔵門線、丸の内線、と乗り継ぎ、池袋に到着したのですが、なんと!「終電が目の前で出発した」のですorz....

幸い、僕の最寄り駅の一つ前の駅まで行く電車がまだあったので、それに乗って帰ってきました。1時前に終点に到着して、タクシー乗り場へ行くと、案の定長蛇の列。

仕方なく、一駅分歩いて帰ってきました。30分くらい歩いたかな・・・。
ようやく最寄り駅までたどり着き、パークさせておいた自分の車に乗り込み、自宅に着くともう1時半・・・。

長い一日でした・・・。が、今日も朝は8時に起きていろいろ予定をこなした僕です。
今はやっと一息ついて、この原稿を書いています。

後30分くらいでSkype会議が始まります。
さて、今日は初めて参加される方もいらっしゃるので、どういう展開になるか。
きっと楽しい経験になる事でしょう!

その報告はまた後日!

2010年11月1日月曜日

獨協大学リビング・ライブラリーに参加してきました!

行って来ました、獨協大学。

前日から台風の影響で、開催が危ぶまれるという危機がありながらも、無事開催されました。

今回は、あまり形式ばらずに、世間話でもするように話をして、結果、脈絡ない話になってしまって少し反省。

でも、気づいた事がありました。

それは、リビング・ライブラリーで、(マイノリティー)当事者が、「一般の人」に発信する。
その内容、本質は何か、という事です。

初めは、「ユニークフェイス」という問題を認識してもらう、社会的認知を上げる地道な取り組み、くらいに思っていたのですが、リビング・ライブラリーでそれをやるのは効率が悪すぎます(悪い意味で言っているのではないですよ。最後まで読んでね)。聞いてくれる人の数が圧倒的に足りないからです。単純に数の問題。影響を与えられる範囲が、ごくごく限られるという意味です。

だとしたら、「本」を「読みに」来てくれる人が持って帰る「何か」とは何か?

を、考える必要があると思った訳です。
単純に、社会的弱者や少数の人の、普段あまり聞けない話を興味本位で聞きに来る、では考えが浅すぎると、我ながらに反省。不勉強にも程があるな。

で、仕切り直しです。話を聞きに来てくれた人は、何を持ちかえるのか?

「気づき」これはすぐ出てきます。しかし、抽象的すぎる。
いや、抽象的である事は構わないのですが、僕の中ではスッと腑には落ちない。

何かなあ…。と、話をしながらずっと考えてました。

当事者である自分が、一般の人に対して与えられる「気づき」それは実際のところ何か?

はっ!

それは、僕は顔に痣はありますが、幸せに生きてますよ、という事ではないか?

顔に痣があっても幸せになれる。しかしその論理の裏には、顔に痣がなければ当然に幸せになれる、という論理の存在が必要です。

しかし、現代社会では、誰もが程度の差こそあれ閉塞感や、危機感にさらされています。

つまり、単純に「幸せです」と言える世の中じゃないのです。

と、なると、顔に痣がありながらも「幸せです」と発言する人間の存在は、ある意味レアです。

では、何でこの世の中で「幸せです」と言えるようになるのか?というところにポイントが移ってきます。

実際のところ、僕は、「まあいろいろあるけど、概ね幸せです」と言っているに過ぎないので、実情は他の方と大差ない訳ですが、これは「認識」の問題です。

自分が「幸せである」と認識する事が重要なのです。

いやいや、宗教の話をしているんじゃあありませんよ。


自分が「幸せ」と思える状況を、自分で作る工夫をしていますか?


自分が「楽しい」と思う事をやっていますか?やる工夫をしていますか?


自分を肯定的にとらえる事が出来ていますか?


そういう事を僕は言いたいのです。うん多分そう。

自分の人生を充実させたければ、自分で何かをやるしかない。
自分が得をするためには、自分で動かなければならない。

当然の事です。種を蒔かなければ木は生えないし、当然実も生らないのです。

しかし、「社会のせい」にしてませんか?「時代のせい」にしてませんか?「国のせい」にしてませんか?

そうやって、他の何者かに、自分の人生の責任を押し付けていませんか?

あああ、なんだか偉そうになってきたな。
僕は偉くはありません。
これは自分自身に対する問いかけでもあるのです。

「お前は何かに責任転嫁して分かったような顔してるんじゃないか?」

と、自分自身に疑問の言葉を突き付けているのです。

これ、なんだか重要な事のように思います。
なので、ここに記録、っと。

なんだかリビング・ライブラリーから話題がかけ離れてきたので、この話はここで終わり。

当日までの準備から、当日の運営まで、学生さんたちはよく頑張ったと思います。
大変だっただろうと本当に思います。

先日の駒澤大学でも、今回の獨協大学でも、学生さんたちは本当によくやったと思います。
もっと上手くやる事は出来るかも知れませんが、ベストを尽くしていた事は分かりました(褒め過ぎかな?)。頑張っている若い人たちを見るのは気持ちが良いものです。って、おっさん化しているな、自分。


「ゆき」さん。よく頑張りました。<誰だよ!(まあまあ、サービスですw)


今回僕に「本」としての参加の依頼に来た担当の学生さんと記念撮影。写真、大き目に載せといたぞ、と。

さてさて、今年はまだ終わりではなさそうですよ。
どうやら本当に明治大学さんでも「本」として参加する事になりそうです。
その辺はまたおいおい。まだ正式な話ではないのでね。