ユニークフェイス講演企画

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2011年12月31日土曜日

今年も一年お世話になりましたの振り返り

2011年も終わろうとしています。

当事者活動を始めて1年半くらいになったでしょうか?
はじめは軽い気持ちで、できる事をやっていこうとぼんやり考えて取り組み始めました。
今もそれは変わっていませんが。

始めてすぐに気づいたのは、自分自身は見た目の事について既に問題としては捉えていないという事でした。つまり、もう悩んでいない。

だから、いままさに悩みの真っ最中という方の気持ちに心から共感するという場所に自分はいないのだなあとつくづく思い知らされたんですね。

でも、この1年半の間にいろいろとイベントなどに参加させていただく中で、自分の過去の辛かった体験などをあらためて掘り起こす作業などをしてきました。

いまは、過去の辛かったという体験も、当時より客観的に見る事ができるようになったし、それが現在にどのようにつながっているのかも明確になりました。

一番強く思うのは、当時苦しんでいた体験も、いまでは自分自身の成長に必要不可欠であったという事です。

見た目に問題を抱えていようが、いまいが、社会に出て生きていくという過程の中では様々な試練というか、壁というか、そういうものに直面します。
何となく、そういったものを乗り越えて行く人もたくさんいると思います。

でも、見た目に普通でないという属性を持っていたがために、より自覚的に問題に取り組んでいく必要性に迫られたという側面はあったと思います。
それは、普通の人と比べたら大変だったのかなあと振り返っている次第。

それでも、それは悪い事じゃなかったなあというのがいまの僕の実感です。

何となく通過するのではなく、その都度「これはどうしてこうなっているのか?」「どうしたらこれを解決できるのか?」と考えながら生きる習性が身に付きました。

そんな中で手に入れた生きていく上で必要なスキルはたくさんあった。

だから、いまも苦しんでいる当事者の人は、現状に悲観的にならず、前向きに生きていって欲しいなあと心から思います。

こんな風に生きている当事者もいるんですよ、って。

僕は、いろいろな体験をしていく中で、自分自身の意見ははっきり主張していくというスタンスを手に入れました。
普通の人は逆にこういうスタンスは取りにくいみたいですね。

見た目に普通でないから目立ってしまう。
普通の意見を述べているだけでも、発言が不必要に強調されて、尾ひれがついて話が大きくなってしまう。そんな経験を何度も強いられた結果、どうせ話が誇張され(時にはねじ曲がって)て伝播していってしまうなら、思い切って本音を話してしまった方が清々する。

誰でも言いそうな意見が僕のものとして勝手に広がってしまうなら、僕しか言わないような事を堂々と主張して、それが広がっていく方が楽です。

どの辺で話が歪曲されていくのかも把握しやすいですし、それならば間違った情報の管理も楽です。間違って伝わったところにピンポイントで「そんな事言ってません。僕が言ったのはこう」って修正できるから。

誰が言ってもおかしくない内容は、それが誰の発言とされているのかが判然としなくなっているので、わざわざ修正していいものかどうか迷うんです。ただなんとなく僕が言ったような話になっている、というのは対処がしにくいです。

その点、持論を意識的に発信している場合、その発言には当然自分自身の責任というものがついて回っていますから、何かの弾みでクローズアップされた時に僕自身が前に出て行きやすい。

発言や行動に責任を持つというのは、当たり前のようでいて、実際には意外と社会ではないがしろにされている部分だったりします。
むしろ、発言に匿名性を持たせる事で集団の思想をコントロールするような動きをする人が多いですから。
「みんなこう言っている」なんて話のほとんどは、意図的にそういう方向にもっていきたい一部の人たちの「工作」だったりします。

その点、普段から自分の意見をはっきり言っていると、普通にスルーされる事も多いけれど、本当に同意してくれる人が現れ出すと本当にその意見が「みんなもそう思っている」に変わっていくので手応えがあります。

まあそんな、世間に対する駆け引きみたいな事を楽しむ事ができるのも、こんな見た目に生まれてきたおかげかと思えば、まんざら悪くもありません。
どうせ風当たりが強いのは同じ事ですし。

まあ、「面の皮が厚くなった」ということでしょうか?

「できること」をやらない選択肢はあるけど、「できないこと」だらけでは選択肢が限られちゃいますから、「できること」をいかに増やすかが生き易さの獲得には必要不可欠。

そんな事を考えながら生きている今日この頃。年末なので軽く振り返ってみました。

来年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

2011年12月12日月曜日

明治大学ヒューマン・ライブラリー

今年も参加してきました!

あれ?どこだか分かんないな、この写真…。

明治大学駿河台キャンパス、「リバティータワー」です。
今年も「本」として参加してきたのであります。
ここの11.12Fを会場として「ヒューマン・ライブラリー」が開催されたのでした。

さてさて、今年の明治ですが、僕の「タイトル」は

「この顔にもいい加減慣れましたw」

でしたとさ。
まあこの、「タイトル」って奴が結構頭使うんですが、実際のところコレ見て皆さんどう思われるのでしょうか?<今更かよ

午前中は何たることか、このタイトルが悪かったのか、僕には予約が一度も入らずorz...

「今日はお弁当食べにきました」

という笑えない(実際みんな苦笑いw)状況で。
不安を抱えつつ <実はそうでもない
午後の部へ。

結果から言うと、午後は全部の枠が埋まりました。ありがたやー。

本日の「読者」の皆さんは、一般の人(この表現、いい加減正しいのか分からなくなってきたぞ)から当事者、当事者関係者などなど、バラエティに富んだ4名の方でした。

「読者」の方のプライバシィもありますので、詳しいことは書けませんが、ざっくりとレポートしますと…、というか、振り返ると。

「ヒューマン・ライブラリー」という企画自体が偏見低減のための取り組みという事情もあり、「僕がどう生きて(考えて)来たのか?」何に「悩んだ(あるいはなぜ悩まない)か」というあたりが皆さんの訊きたいことのようでしたね。

読者「見た目についてどんな悩みを持ってますか?」

「悩んでません(キリッ」

ヲイヲイ…。

まあ、冗談はおいといて(ほんとにそう言ったんだけど)
「今は」悩んでないんですよ。サクッと言うと、ですが。

「昔は」悩んでましたよ。人並みに(何が人並みか知らないんだが)。

そうねえ…。高校生くらいまで?悩んでたの。
いや、そのあとも微妙に悩んでたな。就職とか考えなきゃいけなかったし。
でもまあ、就職とか、誰でも悩むし(事情が違うか)。

真面目な話、社会人になったら、見た目で悩んでる暇なんかなくなったんです。
覚えなければならないことが日々目の前に積み上っていきますし、課せられた仕事はこなさなければなりません。

見た目がどうとか、そんな言い訳は通用しないんですよね。当たり前ですが。

つまり、重要なのは「使える」人間かどうか。

見た目がどうであれ、やるべきことをやっている人間をいちいちいじめる程社会ってもんは暇ではありません。僕の周りを観測した限りでは。
もちろん、妬みとか、やっつかみとかはあるかも知れないです。
でもね、妬まれる程僕は有能じゃない。ありがたやー。

仕事をしていて嫌な思いをすること?
ありますよ。普通に。
でも、みんなそうだと思います。
仕事していて、嫌な思いをしたことない人っていないと思います。

組織というモノの中で働くって、どうしてもそういう「嫌な」要素を取り除くことは難しいと思います。
つまり、人間関係の軋轢みたいな物です。
どんな組織でも、大なり小なり派閥的な物や「仲良し組」みたいな物はありますし、そのどこかしらに属せば、当然対立するグループからは疎まれたりするもんです。

だから、そういう物はとりあえずおいておくとして、「見た目に問題を抱える」がために悩んでますかと問われれば、

んなこと考えてるよゆーはねーだ!

と答えます。
もちろん、見た目を理由に「弄られる」ことはあるかも知れません。
でも仕方ないよね、ある程度は。
だって、

弄りどころ満載(は言い過ぎだが…)

であることは否定できないもん。
でも、そんなのはたいして悪意があっての物じゃあないです。
軽ーく受け流しちゃって下さい。
太ってたり、若干生え際が平均より早めに後退する方がいますよね…、そういう人がからかわれたりするのって、止められます?
誰かの失敗をネタに笑うことって、ありません?
僕はたくさんあります。

人のこと言えねーだ。

話の筋は外れてますが、ついでに付け加えておくと、こういう「組織」の嫌な部分て、その気になればある程度避けられます。あくまでも、「その気があれば」ですけど。

簡単に言うと、どこにも属さなければ良いのです。
どのグループにも属さない。
自分の考えに近いグループにその都度入り、その話が終わるとスーッと出て行く。
どのグループとも考えが違えば、どこにも入らず自分の意見は言う。

まあ、出世はできないと思うので、その覚悟があればという話ですが…。
要は何をとるかという問題で、上手く世間を渡りたければ、ある程度周りに流されるのが良い訳です。

僕は、自分が納得できない話に同調して、あとで後悔するのが凄く嫌なので、多少デメリットがあっても自分の意見は言わせてもらうことが多いです。
はっきり言って、お勧めできない方法だと思います。
自分でも、もう少し上手く立ち回らねば(フッフッフ)
と目論んでいるところです。

で、今度こそ話を元に戻すと、
「使える」人間を目指しましょうということに尽きるということなんですよね。

これねぇ、当たり前すぎることなんですけど、実際すっごく難しいことですよ。
つまり、「優秀になりましょう(^-^)」って言ってるのと同じですから。
そんなの、簡単にいきませんよ。
だから、ずーっとこれ目指して働く訳です。ゴール、たぶんないです。エンドレスです。
全力でやるこたぁないと思います。マイペースでやりましょう。

あーっと、大切なことを忘れていました。
働くと、「お給料」が出るでしょう?
コレ、大事です。

「使える人間」を目指す=頑張って働く

それによってお給料がもらえる。
まあ、生活費とかいろいろあるからだいぶ目減りしますけど、
残りはどう使おうが自分の自由。


どうでしょう?これだけでも多少嫌な思いしても働く意味があると思うのですが。
僕自身は今の仕事が嫌いじゃないし、働くことに抵抗はないんですけど(ここ強調!)、気後れするという方はぜひ一度考えてみて下さいまし。


みたいな話を(相当ごちゃ混ぜになっている上に見た目についてほとんど触れていないぞw)してきたのでした。

それにしても、ヒューマン・ライブラリーって、疲れますね。
初対面(でない人もいるけど)の人と、いきなり真剣に語るというのはある意味「勝負」です。いかにして考えを伝えるかの勝負です。

脳味噌フル回転〜。

あっ、アドレナリンが、お?なんか気持ち良くなってキタッ!<変態かっ

僕を「読みに」来て下さった方、ありがとうございました。
また、この無駄に長い文章を最後まで読んで下さった方にも感謝ですm(_ _)m

すみませんねえ…。結論も考えないままに書き出すものですから。

2011年9月12日月曜日

ええ!?また恋愛話ですか?w

一日に3度も

「どうしたら恋人ができますか?」

みたいな質問を受けました。

「訊く相手を間違ってるだろう!」と、思わないでもない…。

話を聞いてみると、
「こんなダメダメな自分に恋人なんかできない」
「告白するなんて、そんな怖い事できない」
「恋人って自然にできるものじゃないんですか?」<できる訳ない

という…。

あらためて言っておきますけど、

「僕は特にモテません!!」

なので、本来ならお答えできるような人間じゃないと思うんですが。

でもまあ、お話を聞いて思った事は

「みんな告白した事ほとんどないじゃん!」

という事で…。
告白しなければ恋愛なんか成立しないというのが、特別モテた事などない僕の意見なのですが(モテる人は相手からアプローチあるだろうけど)、だからといって「告白しちゃいなよ」と言ったところで「ハイそうですね」と告白なんかできないという事も分かりますよ。

でもね、それでも僕に意見を求めるなら告白しちゃう事を勧めますね。
何でかって?
振られるにせよ、恋愛が成就するにせよ、やってみなけりゃ分からない訳で。
失敗するのはしんどいけど、失敗からしか学べない事がたくさんあると思うのですよ。
だから、好きな人がいるならどんどん告白するべきだと思いますねー。
それも、一度で諦めないで何度でも。自分が納得いくまで。

だってさー。一度告って振られたとして、そりゃあショックでしょう。キツいでしょう。
でもね、告られる側からすればですよ、「一度断ったくらいで諦めるなら、その程度の気持ちなんでしょ」と思っても不思議はないと思うのですよ。

だから、相手がお茶だとか、食事だとかにつき合ってくれているうちは、チャンスがあると思って頑張るべきだと考えます。
もちろん、毎回おんなじ手で行っちゃダメだとは思いますよ。
「あ、このアプローチはダメなんだ、じゃあ今度はこっちから」みたいな工夫は必要でしょうね。

それとね、失敗する事で上がる経験値というのが絶対にある。
失敗する事で、自分がどの程度の人間なのか見極められるんです。
これは恋愛に限った事じゃないなあ。人生全般に言えること。

自分の限界がどの辺なのか、それを知っている場合と知らない場合では、生き方が全く違ってくると思いますね。
攻めるべきところで引いてしまったり、攻めても無駄な時に攻めてしまったり、そういうことが起こる訳です。

痛いのは、攻めるべきところで引いてしまうこと。
「だって、自分、ダメだし」
とか思っていると、できるはずの事もできずに終わってしまう。
残念ですねえ〜。もったいないですね〜。

もちろん、気持ちの波もあるでしょうから、気分がダウンな時に無理する事はないと思いますよ。でも、気持ちが健康な時なら迷わず勝負しましょう。

かく言う僕だって、いつでも気分が快調な訳でなし。
こういう事を書いていると、「肉食系ですね」と必ず言われますが、

僕は、「パートタイム肉食系男子」です!

普段はいたっておとなしく、目立たず、奥ゆかしく、昼行灯的ですらあります。
ただ、自分の中で許し難い、放っておけないという場面に出くわした時にはスイッチが切り替わります。

「狩りに行く」体勢に変わるのです。
そういう時の僕は、攻撃的で、容赦なく、非寛容で、無慈悲で、手段を選ばず、相手に選択の余地を与えません<本当に良いのかよそれで

まあこれは極端な例ですが。

あとは、「恋人いません↓モチベーション上がりません」という場合。

そりゃそうでしょうね。仕方ないです。でもね…。
「恋人さえできればテンション上がりまくりじゃね?」
つまり、テンションを上げるための努力って、しんどい。モチベーションが保てない。
ならば、先にモチベーションが上がる方法について努力しましょう。
恋愛だったら、とにかく恋人をゲットする事に邁進しましょう。
恋人ができてしまえば、掃除が嫌いな男子も自分の部屋を掃除するようになりますね。
恋人ができてしまえば、料理が嫌いな女子も料理に挑戦するようになりますね。

恋人ができる前から、「イイ男はこうでなければならない」「イイ女はこうでなければならない」なんて努力するのは大変です。

「ヤベー、彼女うちに来るのに部屋がグッチャグチャw」

となってから一生懸命片付ければ間に合いますし、彼女が綺麗好きなら、片付けを維持せざるを得ないじゃないですか。
そういう事を繰り返していると、自然と自分自身が良い方向に変わって行くと思います。

とまあ、そんな事を昨日はずいぶんと話してきたのでした。
ああ、まとまらない。
でも終わりにしちゃおうっと。

駒澤大学ヒューマンライブラリー

に行ってきました。
昨年に引き続き、「本」としての参加です。
会場は駒澤大学高等学校。

駒澤大学はこれで2回目のヒューマンライブラリー開催ですね。
昨年とは運営する学生も入れ替わり、場所も大学から高校へと変わりましたが、要所要所で昨年から改善された部分もあり、「本」としては参加しやすかったです。

場所が駅からやや遠かった事は確かだし、道が分かりにくかったというのもそうかも知れないけれども…。僕は地図見ながらで迷わず行けたしなあ。
この辺は判断の別れるところです。

僕は合計5回のセッションを担当。
今年の駒澤は、一度に3人まで「読者」が入れるルールでしたが、僕のところは一人ずつしかいらっしゃいませんでした。
まあ、一対一の方が話しやすいので、それで別に良かったのではありますが。
うーん。難を言えば、もっとたくさんの人に来場して欲しかったかなあ?

僕のところに聞きにいらっしゃった「読者」さんの内訳は

運営ボランティアの高校生 1名
一般の方 1名
明治の学生さん 2名
当事者団体関係の方 1名

ということで、実に3名の方が知り合い(^-^;)
知り合いが来るのも悪くないですね。滅多に会えない方達ばかりでしたし。
話も結構突っ込んだ事を話せましたし。

他の「本」の方との出会いも興味深かったです。こういうのがヒューマンライブラリーの良いところですね。

学生さんは今年も頑張っていました。
みんな一生懸命だなー。
見ていると応援したくなります。<おっさん化している証拠か?

さてさて、イベントも終わったし、依頼されていた原稿も提出したし(これはまだ直しが入ると思うけど)、もう少しブログを真面目に書かねばと考えている今日この頃。
ここ2ヶ月くらい、作文は原稿に掛っきりだったものですから<言い訳

やれる事はやりますよ〜。

2011年8月28日日曜日

お久しぶりです

またもや久しぶりの更新です。

昨夜はレーシングカートレースに参戦し、何と2位表彰台をゲットしました。
生まれてはじめてシャンパンファイト!
なので今日は気分も上々。体中が筋肉痛で、脇腹も痛いけど。

依頼されていた原稿ふたつは、一応完成して一旦提出しました。
「本」になるという方の原稿は、これから編集の人からいろいろとご指導を受ける予定になっています。
これは9月に入ってからになるのかな?
難しい注文が入ったらどうしよう…。と、ちょっとドキドキです。

さて、今年も参加する事が決定している駒澤大学ヒューマンライブラリーですが、現在のところ「タイトル」と「あらすじ」を提出して、一応の準備が整いました。
本番は

9月11日(日)
場所は駒澤大学高等学校

僕の「本」としてのタイトルは…。あ、まだ発表しちゃダメなのかな?
詳細はまた報告します。
話す内容は大体決まってますが、原稿に起こすかはまだ決めてません。
この日は朝から夕方までずっとこのイベントに参加なので、お時間のある方はぜひいらして下さい。

簡単ながら近況報告でした。

2011年7月31日日曜日

イベント告知「コミュニケーションセミナー」

MFMS(マイフェイス・マイスタイル)さんが、セミナーを開催します。

「見た目問題」当事者なら、誰でも一度はぶつかる「壁」。
コミュニケーションに関するセミナーです。

「見た目に症状があることで人間関係が上手く築けない」

そんな方に、MFMS代表外川さん、理事の粕谷さんが講師となって実践的なレクチャーをします。

MFMSがこれまでに蓄積してきた、膨大な当事者の声。
専門家からの多くのアドバイス。
これらのすべてを注ぎ込んだ渾身の企画。

詳細はこちら http://mfms.jp/schedule/seminar/2011/0713/communication-press-1.html

何でも、少人数できめ細かな対応をして下さるとの事。

自己啓発ものはちょっと…。というあなた!
MFMSさんは「かなり敷居が低い」参加しやすい団体ですよ。

サークル的な軽いノリを漂わせながらもアットホームで面倒見が良い事間違い無し。
それでいて押し付けがましいところも一切なし。
面倒なしがらみもまるでなし。

気軽に参加してみて下さいね。

2011年7月28日木曜日

今後の予断を許さない予定

またもや久しぶりの更新です。

今回は近況報告。


まずは、今年も参加が決定しました。

駒澤大学ヒューマンライブラリー

この週末に打ち合わせ予定。実際の開催は9月です。


次に、先日参加させていただいた、「異文化間教育学会シンポジウム」これの報告書の作成。3200字。

これはもとの原稿が5000字を越えているので、推敲するだけで何とかなりそう。

さらに、このシンポジウムの内容を「本」(ほんとかよ!)にするという企画が進行中との事で、これに1章を寄稿する予定があります。これが16000字。

うーん。これはシンポジウムの内容以外に「ユニークフェイス」とは何かを説明したり、今後のこの問題の在り方などについても展望を語らなければなりませんね。
今、必要な資料を探してます。どこに行ったか分からないものとか結構あって(汗

他には、今日になって突然「講演」てな話も持ち上がっております。
これは本当に実現するかまだ全くの未確定事項。

明治大学のヒューマンライブラリーは、今のところ声はかかってませんが、参加の可能性はあるかな。これは12月に開催予定。


プライベートなところでは、カートレースに参戦する事がほぼ決定しました。
3時間耐久レースとか…。
まあ、一人で走る訳ではなく、4〜5人で交代で乗る事になりそうですが。
しかし、発注したヘルメット来ね〜!間に合わなかったらどうしよう(ili゜Д゜)

シリーズ戦にするとかいう話もあるそうなので、一発では終わらないかも。
でもまあこういうのも大切。


と、まあそれなりに充実した生活を送っているのでありました。
本業もいろいろ忙しくなってきてるし、慌ただしい毎日です。

文章書くのって大変です。書き出すまでが。
今のところ、頭の中であれこれと考えている段階です。
結論を考えずにダラダラ書くのは結構楽なんですが(どこに落ち着くのか分からないのが楽しい)、ちゃんと落としどころを考えながら書くためには、それなりの「構成」も考えなくちゃならないし…。

とか言いながら、勢いで「えいっ!」と書いちゃう可能性も大なのですが。
え?ダメ?

2011年6月22日水曜日

プライベート活動推進

当事者活動(的)な事を始めて1年が経とうとしています。

この一年間は、できる範囲でぽつぽつとアウトプットしてきた日々でした。
もちろん、本業があるのでそのペースはゆっくりで、マイペースな性格と相まって尚更のんびりしたものではあったのですが。

ちょうど、いろいろなイベントが一段落したので、この一年間のおさらいをしてみましょう。

・レッドフェイスSkype会議
・駒澤大学リビング・ライブラリー
・獨協大学リビング・ライブラリー
・明治大学ヒューマン・ライブラリー
・NHK「道徳ドキュメント」取材協力
・MFMS主催「キックオフ」イベント参加
・異文化間教育学会シンポジウム参加
・MyFace原稿寄稿(時々)

こんなところでしょうか?
レッドフェイスSkype会議が宙ぶらりんのままになってしまったのが申し訳ないところです。

本業の方は、淡々とこなす毎日です。

さて、自分の目標は何だろう?
という大問題はあるのですが、これは急いで考えない事にしています。
まだその時じゃない感じ。

とりあえず、当事者活動の方は当面大きな予定もないので、プライベートな活動を充実させてみたいところ。

趣味とかね。

考えてみれば、この10年ばかり、趣味らしい趣味と言ったら「読書」とたまの「ドライブ」くらいのもの。

さて、何をしようかなあ、と考えている次第。

今日、ふと思いついて「国内B級ライセンス」講習を受ける事にしました。
いや、取ったからと言って競技会に出たりする予定もないんですが…。

新しい事にチャレンジしたい気分になってきたのです。

8月あたりに「カートレースに出ないか?」というお誘いもいただいたところでもあるし。
<いや、これは「お誘い」であって、今のところ予定ではない

とにかく、何か始めないとなあ。

そんな事を考えている今日この頃。

2011年6月13日月曜日

シンポジスト!

「異文化間教育学会シンポジウム」にシンポジストとして参加してきました。

会場には250名を超える観客が入ったそうです。なかなかの盛況ぶり。

僕の役どころは、「偏見(差別)の当事者が体験談を語る」というものでした。

今まで、現在の自分の心境などについてはお話しする機会はありましたし、このブログでもちょこちょこと書き綴ってきていましたが、過去の体験を語る、しかも200名を超える人たちを前に、というのははじめてでした。

どこでそんな度胸を拾ってきたのか、自分でも分かりませんが、思いのほか普通に発表できた事に驚きました。

話の内容は、幼少期からの偏見、差別の体験を割と「生々しく」語り、それに対して自分がどのような対応をしてきたのか?でした。

いじめられた経験なども結構含まれていたので、場の空気が重くなり過ぎないように気を遣いました。

笑える話もちょこちょこと間に挟みました。
学術的な研究発表ではなく、当事者の体験談ですから、話を聞きにきてくれた方々も気楽に聞けたのではないかな、と思います。

具体的には

・当事者としての私自身のこれまで
・当事者のおかれる環境の困難性(特殊性)
・デメリット低減に立ちふさがる壁

という構成でした。

女性の学生などが多数参加される事が予想されたので、恋愛話を割と多く織り込みました。

シンポジウム終了後、何人かの学生さんから感想を聞く事ができましたが、やっぱり恋愛話が面白かったそうです。

何を話したかって?

恥ずかしいのであまり詳しく書けませんが…。

僕は恋愛に関しては「押しが強い」というのが割とウケたようです(^-^;)

「ガンガン口説かれたら弱いかも〜」

という感想もいただきました。でしょ〜!って感じ(^-^)
こう見えて、「肉食系」なんですよ、僕。

思っていた以上に楽しめたイベントでした。<楽しんでて良かったのか
僕の、こんな話で良ければいくらでもお話ししますよ!

しかし、こういう舞台に上るって機会もなかなかないです。良い経験をさせていただきました。

僕を推薦して下さった、駒澤大学の坪井先生。
何者かも定かでない僕を起用して下さった、お茶の水女子大学の加賀美先生。
適切な助言をして下さった、明治大学の横田先生。
一緒に登壇して場を盛り上げて下さった、獨協大学の工藤先生。

本当にありがとうございました。感謝しております。

会場に駆けつけて下さった外川さんや、学生の皆さんにも感謝です。

これからもよろしくお願いいたしまする〜。

2011年6月7日火曜日

被災地へ、ボランティアに行ってきた

ちょっと前になりますが、6月4日に宮城県山元町に行ってきました。

災害ボランティアです。
6月3日夜に集合し大型バスに乗り込んで現地入りし、土曜日日中を作業時間にあてて、夕方現地を出発して深夜に帰ってくる、いわゆる「弾丸ツアー」です。

長袖、防塵マスク、金属インソールの長靴など、結構な重装備が必要でした。

食事や水分も自前で用意しなければならないので、荷物も結構な量になりました。

到着すると、現地は晴れ。気温は朝方は肌寒かったものの、日中は25℃近くまで上がったでしょうか?長袖では暑い天候でした。
しかし、瓦礫などによる怪我を防止するため、長袖は脱げませんでした。頭には帽子やタオルなどを巻いて保護しました。

住宅地(海岸線から1.5〜2km)での作業でしたが、そこに堆積した土砂は大半が海から来た砂で、目が細かく、日光に当たる事によって乾燥し、風に舞う状態でした。
そのため、状況によってゴーグルも着用しながらの作業となりました。
津波は、この地域にも流れ込み、人の背丈程まで家屋は海水に浸かったようです。



長袖、防塵マスク、長靴、ゴム手袋の着用により、気温の上昇も相まって、どんどん体温が上昇するのが分かりましたが、水分や塩分を補給する他に対策がなく、またトイレに行きにくい環境(現地の民家にお願いして借用しなければならない)である事から水分の補給量にも注意しなければならない状況でした。

休憩は取っていましたが、日陰も少なく、また処理しなければならない土砂の量が多量のために、皆必死の作業となってしまいました。いくら土砂を土嚢に詰めていっても、土砂の量はなかなか減りませんでした。

この作業を、現地の方や現地に長期滞在しているボランティアの方は毎日行なっているのかと思うと、本当に頭の下がる思いです。
本当に人数が必要だし、力仕事でした。

なんとか一日作業をやり終えましたが、軽い熱中症の状態になりました。
これからの季節、土砂や瓦礫の撤去作業は体に負担がかかる重労働になります。
作業に従事される方が、健康を損なわれない事を祈るばかりです。

現地では、まだまだ建物内の掃除にまで手が回らない家がたくさんあります。
震災から3ヶ月。しかし、まだやっと道路が綺麗になった程度です。側溝はまだ大半が土砂で埋まったままですから、雨が降っても道路から水がはけず、容易に冠水してしまいます。

田や畑に流れ着いた、様々な物も、未だ片付く目処は立っていません。

避難所で生活し、家に帰れずにいる方がたくさんいる状況なのです。
普通に暮らせる環境に戻るには、大変な時間と労力が必要です。
あまりにも広い範囲に被害が及んでいるために、全体を直ちに復旧させる事は困難なのです。

この事実を忘れてはならない、そう思いました。
現地に行けば分かります。

「この状況を放置する訳にはいかない」

健康な人は、一度は足を運んで現地の方と一緒に汗を流してみると良いと思います。
地震は、いつ僕たちの近くで起こるかも分かりません。

天災というものが、僕たちの生活にどのような被害をもたらすものなのか?
実際に行かなければ分からない、言葉にできないこの「感覚」。

貴重な体験をしました。機会があれば、また現地に行くべきだとも考えています。

2011年5月21日土曜日

偏見

偏見、へんけん、ヘンケン?

偏見てなんでしょうか?

そんな事を、ぼうっと考えながらここのところ過ごしていました。
いや、それは言い過ぎか。

今日、ある人と話をしていて、話題は「結婚」だったのですが(また微妙な話題だな。ちなみに僕は結婚の予定はないんだけど)。
細かい話は脇に置いといて、「偏見」というキーワードが自然と出てきたのでちょっと書いてみます。

「外国人と日本人のペアが上手く行くパターンがあるよね」っていう話から、

「それは、そもそも国も文化も違う、ある意味別の生き物と一緒になるという事だから、生活する上で自分と違う考え方や方法に出会っても、仕方ないって納得できるからじゃないかなあ」

という答えを導き出したって訳です(大げさだな)。

で、何が偏見て、外国人に対してではありません。

同じ日本人に対して、です。

つまり、同じ国、同じ文化のもとで育ったんだから、これは「当たり前」だろう。
そういう決めつけがあるから、かえって話がややこしくなるんではないか?

「同じ日本人。なんでこれが分からないかな」

そういうのって、「偏見」だよねえ〜。
と、話していたのでした。

100の国があれば、100の「当たり前」がある。
100の地方があれば、100の「当たり前」がある。
100の家庭があれば、100の「当たり前」がある。
100人の人がいれば、100の「当たり前」がある。

ほら。外国人だろうと、同じ日本人だろうと、条件は一緒。

当たり前の事ですが、普段となりにいる「その人」も、自分とは違う「常識(考え方)」を持っている。

分かりあうには、お互い譲歩しなければならない。
もっと簡単に言えば、「仕方ないよね」とお互いを許しあわなければ上手くいかない。

とは言っても、この手の話の落としどころは大体決まっていて、

「違う事を認めあう」

てな事になっちゃって、ありきたりな答えにしか辿り着けないんだけど。

分かっちゃいるけどできないから、難しいのよね。「偏見低減」。

2011年4月30日土曜日

人格形成

について、最近いろいろ考えます。

人から見て、僕ってどんな人間なんだろうなあ〜。と、シンポジウムに参加する事になってから考え始めました。

最近は、人当たりもだいぶマイルドになっていると思うし、そうそう問題も起こしてないように考えていたんですが…。

やっぱりいろいろありますね(=_=;)

自分が普通とは違う外見を持っている事により、潜在的には劣等感があるのだろうという事をまず思いつきました。

え?今まで気づかなかったのかって?
ええ、意識しませんでした。
人と違う事は重々承知だったし、それで嫌な思いもしましたから、「厄介だなあ」とは思っていましたが、いわゆる「コンプレックス」みたいなものは何故だか表面化しなかったんですよね。

でも、何故気づかずに来たのかを考えると、いろいろとありますね、人格的なものが。

簡単にいうと、僕は「人を見下している」人間です。かなり語弊があるな、この表現。

言い換えると、「まあ、気にする奴は勝手に気にしてろや。俺は知らん」というスタンスであるというか…。
全然フォローになってないな。

見た目に関わらず、他の事でも他人に何か言われたり、されたりしても基本的にノーリアクションなんです(怒る事は多々あり。それで世をはかなんだりしない)。

自分の考え方、価値観があって、それについては他人には口出しされても無視してしまう。
コレ、相手が誰であっても基本的にはおんなじ。

おかげでおかしな誤解を受けたり、不必要に敵を作ったり、苦労します…。

でも、それを解決するためにへりくだったりするのが「大っ嫌い」なんです。
もう、どうしてかなっていうくらい、この部分に関しては変えられない。

なので、人によっては僕を「頑固」「偏屈」と見なしているようです。

あーそうさ。頑固さ!偏屈さ!だから何だっていうんだよ。

理解不能?結構、理解される必要性を感じない。

うわあ…。かなり問題がある人間ですね。
よく社会人やってられるなあ。

と、思いました。

でもそれって、やっぱり根っこに劣等感があって、それを打破するために自分で作っている防壁なんですよね。

気がついたからって、そうそう変えられるものではないし、だいいち変えたらどうやって生きていけば良いのか、皆目見当がつきません。
とはいえ、当面自分を変えるつもりはない!とまでは言い切りませんが。

というのも、この歳になって(35歳)いい加減長い事普通に社会人をやっていて、それなりに仕事を続けていると、もう見た目とか実際には関係ない感じになっていて、そんな事より、より良い仕事をしてもらいたいという職場からの要請もある訳です。

もういい大人なんだから、普通にやってくれよという声が(聞こえはしないけれど)あるのです。

それには応えんといかんなー。

と、そんな事を考える今日この頃。

意地をはり倒すのもそろそろやめるか〜。

でも、なんか自分がつまらない人間になってしまいそうでね…。
こんな面倒な事を考えなきゃならないのも、そもそも見た目に普通でないからなんですよね。だから難しい、厄介な問題。

一人くらいとんがってて扱いにくい人間がいたっていいじゃんかー。

というのは甘えでしょうか?甘えですね。分かってます。
さて、僕は物わかりのいい人間になるのでしょうか(^-^;;)

異文化間教育学会シンポジウム

超久しぶりの更新になってしまいました。
地震で直接被害を受けた訳でもないのに、何故だか言葉が紡ぎ出せない感じでした。

で、タイトルですが、シンポジスト(?)として参加する事になりました。
テーマは、「偏見の形成メカニズムと低減のための教育」
6月12日9:30〜12:00
場所はお茶の水女子大学共通講義棟201教室
です。

昨年の駒澤大学でのリビング・ライブラリーでお世話になった坪井先生からのご推薦です。
当日は、これまたリビング・ライブラリーでお世話になった、獨協大学の工藤先生も登壇されるという事で、ご縁を感じますね〜。

僕の役どころは、見た目に問題を持って生活してきた中で受けた偏見について実体験を持つ当事者が語る、というものです。

と言っても、たいしたお話ができる訳でもなく、当事者の実際についての事例提供のようなものです。

具体的な内容は、偏見というよりも差別の体験について語る事になると思います。
偏見を起点として、差別が生じ、そこで当事者がどのような防衛を行なって生きているか。
また、どのような問題に直面しているのか、どのように対応しているか。

個人ではどうにもならない社会という目に見えない「システム」が作り出す「偏見」。
これをどのように低減していく事ができるのか?
僕は一当事者でしかないので、専門の先生方がどのような方策を考え出されるのか、大変興味があります。

マイノリティーに対する、個人個人が無意識に、かつ反射的に起こしてしまう「偏見」というバケモノ。ひとつひとつの「偏見」はたいした問題ではないのかも知れないけれど、それが社会という集団の中でまとまった形になってしまった時の恐ろしさ。
そういった事について学べるのではないかと期待しています。

さて、本当に僕で大丈夫なのでしょうか(=_=;)

楽しみな気持ちと、やや不安な気持ちを持ちつつ…。

2011年3月18日金曜日

救援物資求む

18日早朝、同僚の携帯電話に福島在住である友人からメールが届きました。地震後の混乱の中、宮城県石巻市湊小学校にある避難所に辿り着き、おそらく看護師として救援を行なっている模様。

物資が不足し、避難所が困難な状態にあるという内容でした。
以下にその情報を記します。

不足しているもの
・携帯電話の充電器(本体は持っていても充電器を持っていない方が大半)
形式は何でも良いそうです。いろいろなものがあった方がかえってありがたい。
機種変更などで不要になった充電器をお持ちの方はご提供ください。

・単一と単三の電池
・缶詰
・コーヒー、お茶の葉(嗜好品ではありますが、少しでも避難所でのストレスをしの いで いただくために必要かと思われます)
・火鉢、炭(ライフラインが断たれた中、暖をとるのに使用しているかと思われます)
・銀マット(断熱用)
・毛布
・ウェットティッシュ
・新品の下着
・ストーブ
・OAタップ(タコ足配線に必要)
・長靴
・手袋
・ゴム手袋
・スコップ
・厚手のビニールシート
・ホッカイロ
・小刀
・倒れにくい形の蝋燭

以上です。
これらの物品を提供する事が出来るという方にお知らせがあります。
物資の輸送を行なってくれる協力企業があるようです。

以下に企業名、住所、電話番号、担当者名を記します。

・株式会社関根エンタープライズ
〒343−0012
埼玉県越谷市増森207−12関根ビル2F
   ℡048-969-5510
担当 塩谷さん

・会津通商株式会社関西営業所
〒578−0963
大阪府東大阪市新庄3−21−47
℡06−4309−1880
担当 中野さん

・名備運輸株式会社
〒485−0084
愛知県小牧市大字入鹿出新田字大島312−1
℡0568−72−3552
担当 丸川さん

・三重執鬼株式会社
〒513−0821
三重県鈴鹿市地子町523−2
℡0593−84−0003
担当 寺田さん

・株式会社創栄Group
〒321−1274
栃木県日光市土沢1855−5
℡0288−23−8123
FAX0288−23−8130
担当 赤羽さん

・会津通商株式会社関東営業所
〒340−0801
埼玉県八潮市八條1610−9ミルルビル2F
℡048−998−2725
担当 伏見さん

以上

この震災で被災した方は大勢おられます。このような形で一部の方の声だけを伝える事は、単なる偽善に過ぎない事も分かっております。
しかし、ご本人や、同じ避難所で苦しみを共有している大勢の方の事を考えると、黙殺してしまう訳にはいかないと思いました。
協力される企業様もいらっしゃるようですし、少しでも助けになればと思います。

ご協力いただける方は、直接各企業の担当者様にご連絡をいただき、確認を取ってから物資を送って下さい。

事態は刻一刻と変わっております。メールが届いてから12時間以上が経過した今、現地がどのような状態になっているのか分かりません。
ご協力いただける方には、くれぐれも事前の確認をしてから行動していただきたくお願い申し上げます。

このような押し付けがましい申し出をさせていただき、申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

2011年2月28日月曜日

自分の経験を人に伝える

これまで、いろいろと思うところを書いてきましたが、自分の経験を人に伝えるのって、思った以上に難しいと感じています。

自分では「え?こんな事で良いの?」という事もあれば、「うーん。これでは伝わらないのか」という事もある。

とりあえず、取り留めなく書き綴って来たものを再点検。

僕は、自分を変える事で社会に適応して来たというのが実感。

周りを変えていこうという事はそんなに意識してこなかったんです。
でも、周りの人間に言わせると、結構押し付けがましく「自分ルール」で生きて来た人間であるらしいです。ハイ。

確かに、僕は日常的に会う人に対してはガードが高いです。
ガードを下げたらイカンと、無意識のうちに壁を作っています。
これからもそれは変えるつもりはないんです。
ガードを下げるのは、あくまでも駆け引きの手段のひとつで、そこでちょっと人間関係にアクセントを付ける事で軽くインパクトを与えるというのが常套手段。

その代わり、時々しか会わない人に対しては、かなりガードが低いです。
これも、僕の社会適応の手段のひとつですね。

社会で生きていると、いろいろな場面で妥協を求められます。
それにいちいち応えていたら、自分なんて存在はすっからかんの空っぽになってしまいます。

自分はあくまで自分らしく。妥協は最小限に。言いたい事はなるべく率直に言いたい。
変に馴れ合っていると、そういう事ってできなくなるからです。

だから、近しい人にほどガードは高く、容易に交わらないというのが僕のスタンス。

一方、たまにしか会わない人にそれをやってしまっては、縮まる距離も縮まらない。
そういうときは思いっきりガードを下げて、本音で話します。

それに、たまにしかコミュニケーションをとれない人からは、なるべく多くのものを吸収したい。だからノーガードで行きます。

話は戻って、自分の経験を人に伝えるというテーマですが、この場合僕のガードは下がります。思い切って自分をさらけ出す事でしか伝わらない事がある。

相手が何を聞きたいのか?自分は何を発信したいのか?準備が必要です。
僕が僕の言葉で表現できる事は限られています。
やはり、何か共通のキーワードをきっかけに話に入っていかなければなりません。

さて、どういう切り口でいけば良いのか?
広く、多くの人に理解してもらうには、それなりに共通言語を使う必要性があります。

多くの人に伝わる文脈。多くの人に理解できる語り。

こういうのは難しいです。でも、やってみる価値はあります。

今、ひとつのプロジェクトが進行中です。

僕の人生の中での経験を、普遍的な表現で人に伝える。そんな機会が訪れそうなんです。
でも、そのためには単に当事者としての一人称の語りでは上手く伝えきれない。

自己満足で終わってはいけない。多くの人に理解できる形で自分の経験を構造化し、客観的な視点からも価値ある情報として伝わらなければ成功とは言えない。

まだ時間があるので、いろいろと試行錯誤してみるつもり。

そして、他者からも共感を呼ぶような内容を提供できればと考えています。
でも、単に同情されるのが目的ではない。

僕はあくまで僕らしく、自分を表現する。しかし、同じように苦しんでいる人の事も伝えたい。

きちんと内容を整理して、まとまった形でお話しできればと考えています。
主観としての現実。客観としての情報の発信。
これを両立させる事。

社会に対して伝えなければならない事がある。そして、個人としてやって来た事がある。
この2つ。

まだ取り組みを始めたばかり。
さて、どこまで煮詰められるかな?

2011年2月27日日曜日

肯定的自己を作り上げる(僕の場合)

今日は、自己肯定感について書いてみます。

幼い頃から僕は、痣のせいでいろいろな困難に直面しました。

周りの子は皆、僕の顔を見ると不思議がったり、気味悪がったりしました。
その都度僕は、親から教えられた通りに「これは生まれつきで、痛くもないし、うつらない」
と、答えていました。

幼い僕は、それ以上に言葉を持ちませんでした。もっと適した言い方があったのかも知れないけれども、幼い僕にはそれ以上の事は言えませんでした。

なので、いじめられたり、からかわれたりしました。でも、言い返せないし、痣は消せないので根本的な問題解決は不可能でした。そこに、努力でなんとかできる余地はありませんでした。

年を重ねるにつれ、どういうタイミングで自分の痣の事をカミングアウトすれば良いのかは分かってきました。
普通に振る舞う事で相手を安心させ、仲良くなりそうな予感がしたら、カミングアウトする。

そんな形で適応しようとしていました。ラッキーだったのか、それほど深刻な状況におかれる事もなく、成長しました。

しかし、小学校を卒業する頃には、単に普通にやっているだけでは「普通」扱いされない事に気づいていました。
人より何か得意なものがないと「普通」には扱ってもらえない。

人より何か、何でも良いから抜きん出るものを持ち、それをアピールする事で「一目置かれる」。そうしなければ、集団の中で匿名性を維持する事は難しい。

それができなければ、何かの拍子にあっという間にからかいの対象に転落してしまう。

僕はスポーツに打ち込んで体を鍛えたり、得意な科目で目立った成績を残すなどして、普通以上の自分を構築する事に忙殺されました。

といっても、体力はついたけど、何かの種目で優秀な成績を収める事はできませんでしたし、得意な科目があると言っても、他の科目はごくごく普通の成績だったので、特に優秀であった訳ではありませんでした。

コミュニケーション能力も、磨かざるを得ませんでした。
それは、話すのが上手、というよりは、議論で負けない能力の獲得でした。

僕は運が良かったのか、論理的思考能力はそれほど低くありませんでしたので、普段からよくよく考えていれば、たいていの議論(単に言い合い)には負けませんでした。
自分の論理を補強するために、いろいろな雑学知識を仕入れました。
中学生の時の愛読書は、「現代用語の基礎知識」だったという、変わった生徒でした。

そういう積み重ねが功を奏したのか、高校生になる頃には、たいていの話題について、普通の生徒が話す内容よりは高度な話をできるようになっていました。
抽象的な議論なら、たいてい相手を論破できました。

でも、所詮僕の知識はその気になれば誰でも手に入れられる程度のものです。

高校を卒業する頃には、もっと高度に専門的な知識を持つ必要性を感じていました。
それも、人間関係を結ぶ上で有効な知識。それが必要だという認識を持っていました。

自然と、大学の学部選びでは哲学や、心理学、といった分野を選ぶようになっていました。
その時点では、まだ将来就職する時に何が必要かまでは考える余裕はなかったようです。
コンピューター流行の世の中になって来ていたので、情報科学関係も考えた事がありましたが、僕としてはあくまでも対人コミュニケーション技術の習得が必須であるというのが、その頃の僕の実感でした。

僕は結局、臨床心理学という当時思いっきりマイナな分野に進む事になりました。
でも、それくらいマニアック、かつディープな分野をやらなければ、普通の人以上にはなれない、と考えていました。

大学に入り、実際専門的な勉強を始めてみると、思った以上に専門的、かつ難しい学問である事が分かりました。奥深さで表現するならば、底が見えない程の深い世界。

でも、その中で延々考え続けました。いつの間にか、自分のコミュニケーション能力を伸ばす事など忘れていました。日々与えられる課題、これをなんとかさばくのに精一杯。
僕は単純に、勉強する事に没頭しました。与えられる課題はどれも難しく、その場その場でなんとか仕上げる、という感じでした。

理論を系統的に学ぶような余裕はなく、いろんな理論を部分的に理解し、それを自分の言葉に置き換え、文章にして具体化する。そんな感じで4年間は過ぎていきました。

大学を卒業する頃になって、自分がスペシャリストとして通用する程のまとまった知識を獲得していない事に気づき、呆然としました。

でも、人が生きる上で考える、一般的な事象については相当な時間を割いて考えていた事は確かでした。

自分が生きる上で必要だと感じていた、物事を論理的に考え、目標に対してどのようなアプローチをとれば良いのか判断する能力は、ある程度ついていました。

簡単なアドバイスなら、人にできるくらいにはなっていました。

その頃には、自分が人と違っているとしても、そんな自分でも人並みに何でもできるという自信がついていました。
もちろん、それは思い込みの部分もあった訳ですが、その時点で自分をある意味肯定的に捉える事ができるようになっていたのは大きな収穫でした。

見た目は普通でなくても、少なくともその事で気後れするような事はなくなっていました。

むしろ、見た目に普通でない自分が、周りの要求に対して億する事なく事に当たれるようになってたのですから、満足感がありました。

就職し、自分の見た目がどうであれ、人と同じように仕事をし、苦手な事はあるにせよ、人並み程度に働く事ができる事が分かると、僕は自分の痣の事など忘れました。

痣の事を気にする人はいたけれども、僕の方では無関心でした。自分に与えられた仕事を全うする事。人が、「大丈夫なのだろうか?」という疑問の目線で僕を見ていたとしても、僕は痣の事などないかのように働きました。

仕事が普通に回っている限り、僕は痣の事など気にせずに社会生活を送れるようになりました。

今でも、仕事をしていると、「ちょっと一目置かれる」立場に自分をおかないといけないという面倒な状況におかれている事は確かです。
普通の人より優秀である必要まではないのですが、人とはちょっと違う視点でモノを見る癖がついています。
「手塚はちょっと変わった人だ」くらいの感じでしょうか。

でも、その「ちょっと違う」事で自分の立場を維持しているのですね。
これからもそれは変わらないでしょう。

面倒くさい事ですが、これだけは仕方がない事なのかも知れませんね。
なんにしても、かれこれ35年間、そういう生き方をして来たので、今更それに不服を言うつもりはありません。
もう慣れちゃったし、おかげで得たものも大きいから不満はありません。

こういう状態を「肯定的自己」と言うのかな...。

そう考えている今日この頃。

2011年2月21日月曜日

見た目問題共催イベント〜キックオフ〜参加しました

2月20日、東京都墨田区「ユートリヤ」にて行なわれました。

僕は「NPO法人ユニークフェイス」を代表して参加しました。
曇り空ではありましたが、だんだんと来場者の方も増え、午後はなかなかの人数が集まっていました。

公開討論会も様々な「本音」が飛び出し、当事者の方からは共感を、一般の方には驚きを与えていました。

パネル展示も一日を通して行われ、ユニークフェイスのパネルにも何人もの方が足を止めていらっしゃいました。

質問をされる方もいて、30分くらい話し込む事もありました。

今回のイベントを通じて感じた事は、インターネットが普及した現代においても、大多数の当事者は自身と同じ疾患を持つ人とのつながりを容易に持つ事はできず、ましてや直接会って話をするという機会はほとんどない。という事でした。

疾患の情報は見つける事ができても、実際の当事者がどのような暮らしをしているのか?どのような人生観を持って生きているのか?を見つける事は困難。

それと、やはり若い世代の抱える悩みは非常に大きいという事を再認識させられました。

若いが故の悩みというのは確かにあります。
それを聞いてあげられる人がいない。どこに行けば良いのか分からない。

周りの普通の人に話しても、どうも通じた気がしない。
そうだと思います。僕だってそうでした。
だから、自身の中で延々考えてしまう。
気がつくと、行動を起こせない自分がいる。
はがゆい。とにかくどうにかしなければならないのだけれど、それは分かっているのだけれど動けない。

社会に出るのが怖い。社会に出られるのかどうか、それを考えただけで恐ろしい。

そうだよね。怖いよね。不安だよね。

でも、それを誰に話したら分かってもらえるのか?

どうだろう?例えば僕にそれができるか?
分からない。でも、聞いてあげる事はできる。自分の経験なら話す事ができる。
それくらいしかできない。

それでも、悩んで、苦しんで、のたうち回るような思いをしているなら、それを話す事で軽くなるものがあるかも知れない。そう考えるので、僕はこのブログを続けている。

話をできる相手を確保しておくのは、自分の人生に対する安全対策として意味がある。

これは重要です。僕である必要はない。けれども、どこかにそういう相手を作る努力をする事で、確実に生きやすくなると思う。

悩んで、悩んで、それでも答えが出ないなら、誰かを頼る事は悪い事ではない。
むしろ、さっさと誰かに頼って問題を片付けて、次の課題に向かうべき。

僕はそう思います。

2011年2月7日月曜日

「見られる」立場から「見る」立場へ

ユニークフェイスな人なら必ず気になる「見つめられる視線」。

自分がどう見られているのか?どう思われているのか?
全く気にならない人というのはいないのではないでしょうか。

しかし、僕はある時点からひとつの事に気がつきました。
これは他の人も気づいている事かな?とは思うのですが。

人からどう見られているかというのはもちろん気になるところではありますが、こちらとしても、相手がどれほどの人間かを見ているのです。

その努力は、たぶん普通の人よりかなり強い。

人を観察して、相手がどのような人物であるか、人に会う度に考える自分がいます。
つまり、相手を値踏みしている。

あ、これはダメだ。と思えば近づきません。

また、その人が興味深い人物であるか、話し合う価値のない人物であるかも評価します。
この能力がないと、ユニークフェイスな人は生きづらい。
これが苦手だと、人間関係で失敗を繰り返しかねないので、こちらも必死です。

ユニークフェイスな人は、これを無意識的にやっている。普通の人より真剣にやっている。

それなら、それを意識化してしまえ。

意識して相手を観察し、自分なりに評価し、位置づけを決めてしまいましょう。
初めのうちは上手くいかない事も多いと思いますが、これは訓練です。
自分が生きやすい環境を作るための訓練。

完全に主観の世界なので、当たっているかどうかは分からないです。
また、自分にとっては有用な人であっても、他の人にとっては迷惑極まりないという事もあります。

また、現時点では好ましい人物であっても、時が経つにつれて良からぬ人物になっていくという事ももちろんあります。

でも、です。だからこそ、日頃から他人をよく観察し、いちいち再評価していく事が肝心ではないか?
その繰り返しの中に自分の人生はある。

面倒極まりない作業ではあります。最初のうちは、これが何の役に立つのか、と思う事もしばしばでしょう。

でも、これは生きていく上ではこの上ない「武器」となります。

仕事をしていても、付き合うべき人なのか、そうでないのかを選別する事ができます。
特に、人と関わる機会の多い仕事の場合、この能力が高いと非常に重宝します。

だから、

「見られる」立場から「見る」立場へ。

視点を転換してみませんか?

自分がどう見られるかは、自分ではどうする事もできません(好ましく見える工夫はする余地がたくさんあるけど)。

でも、自分が人をどう「見る」かは、自分次第。
何も人のあらを探せと言ってるのではありません。どんな人にだって、欠点はあります。
重要なのは、他人の中に自分にとって得である要素を見つける事です。
そして、その「得」になる部分にフォーカスを合わせて付き合えば良いのです。

逆に言えば、基本的には合わない人でも、仕事上では協力する事で自分にメリットがある、といった状況を見極める事もできるのです。

見られる事に意識を奪われないで、人を観察する生き方を選びましょう。
そうする事で見えてくる幸せがきっとあります。

かく言う僕も、それほどの「目利き」ではないんですが(=_=;)
でも、「目利き」でありたいとは思っています。
だって、その方が絶対楽しいし、楽できるし。

「見られる」受け身より「見る」積極性を!
発想を転換して、見える世界を一変させちゃいましょう!
与えられる人間関係ではなく、自ら選ぶ人間関係を構築しましょう!
後ろ向きな理由ではなく、前向きな理由で。

2011年2月2日水曜日

「見た目問題」ネットワーク共催イベント2011〜キックオフ〜

来る2月20日(日)10:30〜17:00
東京都墨田区「ユートリヤ」にて

イベントが開催されます。
「見た目問題」を切り口に社会的偏見をなくしていこう!という取り組みです。
様々な団体から様々な当事者が参加して来る事がとーっても大きなトピックスです。

今までこのようなイベントはありませんでしたから。日本初。
もちろん一般の方の参加を期待してのイベントでもあります。

当日、僕は何と畏れ多くも「NPO法人ユニークフェイス」として参加する事になりました。

言ってみれば、ピンチヒッタです。
行きがかり上、僕がたまたま程よいところにいた、というだけの事なんですが。

現段階で参加団体は7つ。

・日本アルビニズムネットワーク(JAN)
・円形脱毛症を考える会(ひどりがもの会)
・眼瞼下垂の会
・アルビノ・ドーナツの会
・痣と共に生きる会Fu*clover(フクローバー)
・マイフェイス・マイスタイル
・NPO法人ユニークフェイス
(順不同)

となっております。これで一応確定です。
内容としては、各団体のパネル展示。ステージ企画(討論会など)。となっております。

当日、各団体5分ずつのスピーチがあるらしいんですが、これって、僕がやる?んだよね?
おおおお。責任重大!

やあ!安請け合いした分責任重いわ!<無責任な上に意味不明

とりあえず、告知できるところには片っ端から告知をかけてます。
参加者募集!来たい方は申し込みなどありませんので、当日直接現地へお越しください。

お問い合わせは
マイフェイス・マイスタイル(MFMS) http://mfms.jp/

イベントページ http://mfms.jp/mfms_news/2011/0129/event201102.html

です。
よろしくお願いしまする〜。

2011年1月30日日曜日

言い訳(=_=;)

すみません...。

ブログの更新が滞っております。

原因は、忙しさです。仕事が忙しくて、っていうか、仕事自体はほとんど定時で上がっているんですが、頭ん中で考える事が山ほどあって、プライベートの時間に仕事の事を考えて、勤務時間中にそれをアウトプットしている状態です...。

研修企画をひとつ上げなくちゃいけないとか(これはテーマと内容はだいたい決まったので、あとは僕の作文能力次第)、法人に上げたイベント企画について近日中にヒアリングが行なわれるため、内容の確認とか(何聞かれるか分からんので、戦々恐々)、今年度の総括として利用者家族面談が始まっていて、5人の家族と面談しなくちゃならない(利用者数18名なのに5名って、30%に近いぞ、どうなってるんだ?ちなみに普通は2〜3人を担当)とか。

あー!時間が足りないです。頭ん中に空白のスペースが欲しい。

もともと極度にマイペースなので、いろいろなものに捉われると、余裕がなくなってプライベートに使える時間が限られます。

Skypeも最近はほとんどオンラインできないし...。気持ちに余裕が無いんですね。

なので、僕に用事がある方は強制的に割り込みをかけて下さい。
全く時間がないのではなく、思考に時間を割いてしまっている事が多いだけですので、連絡をいただければ、レスポンスできると思います。

一人暮らしだと、他人に干渉される事無く思考に耽ってしまうので内向きになりがちです。

土日はなるべく外に出るようにしていますが、それがかえって自由時間を減らしているという面もあります。悪い事じゃないんですが。

とりあえず、2月20日のMFMSさん主催の「見た目問題」ネットワーク共催イベント〜キックオフ〜には参加できるように調整中。

あ、そうだ。

MyFaceさんにはこの間原稿の依頼があったので、ちょこっと作文を送りました。
リビング・ライブラリーを終えての感想文みたいなものですね。
500字ちょっとなので、たいした事は書いてません。本当は、学生さんの頑張りに感謝、とか、他にもいろいろ思う事もあったのですが、500字くらいでは書ききれませんね。
とりあえず、与えられたスペース内で書きました、って感じです。

以上、近況報告(言い訳)でした。

2011年1月17日月曜日

人の期待、自分の希望

人間、生きているといろいろな人と関わりができます。

家族、友人、同僚、恋人etc...

人間関係の中では、人は誰かに何かを期待し、また期待され、時にそれに応え、あるいははぐらかす。

そんな風に生きています。
考え方は人それぞれで、これまた「正解」はありません。
人によって、全く考え方は違ってきます。

本来、人は自分一人で完結して存在できる生き物です。
あらゆる事を(制限はあるながらも)自分で決定し、生きていく事ができる。

一方で、人と関わらなければ生きていけないという事も事実です。

これ、矛盾しているように見えますね。

でも、人間関係の中にあっても、ぶれない「軸」を持って生きる事は可能ですし、それで多少の摩擦があったとしても、自分の中で決めた事なら「納得ずく」であるはずです。

でも、それを時には愚痴りたくなるのもまた、人間です。
そういうのを「弱さ」だと捉える人もいますね。

でも、自分自身で決めた事であれば、結果はどうあれ、その責任は自分が取るべきであるし、文句を言えた筋合いではありません。

さんざん愚痴っても、結局は自分の中で解決するしかない。

大切なのは、その「次」のアクションにあります。
苦い経験を生かすにはどうしたら良いのか?
次に同じような事があったら、どのように自分は対処するのか?
これを考えなければなりません。
いや、考えない人だっています。何度も何度も同じ間違いを繰り返す、なんて事はざらです。

でも、なんとかしなければ、という問題意識があれば、人はそこに向かって進む事ができます。そのためのチャンスだって、たいてい用意されています。

そこで問題になって来るのが、「人の期待」と「自分の希望」です。

これを両立する事は難しい...。

人に主ねて従う方法もあります。
自分の意見を通して人と袂を分かつ事もあります。

その中間、というのは、なかなか無い。
適当にお茶を濁す事はできますが、そういうのはその場しのぎになりがちです。

さて、そうなってくると、自分が本当はどうしたいのかが重要になってきます。
先々の事を考えて決めなければなりません。
事によっては、人生を左右する事だってあるかも知れないのです。
これは悩みますねえ...。

僕の場合、人に主ねる形をとりあえずとってみる、という方法をとる事が多いです。
それで得られるものは確かにある。いわば、社会から要請される「義務」です。
ただ、いつまでもそのままでいくつもりはありません。
流れに身を任せていても、「ここまで」と決めたところで判断を覆します。
つまり、世の中の決まり事などに従いつつも、ある一線で「自分」というものを保持するための行動を起こす事を、あらかじめ予定している。

仕事なんかが良い例です。

仕事というのは決まり事の固まりみたいなもんです。
それに従わなければ、社会不適応になってしまいます。
だから、自分に課せられた「義務」については可能な限り務めます。
しかし、一旦その「義務」を果たした後には、自分が主張すべき「権利」に忠実に行動します。

そこの見極め、見切りが難しい。
でも、自分を見失わないように生きるためには、こういう取り組みは必須であるように思います。場合によっては、とんでもない変節と捉えられる事もありますが(=_=;)

「人の期待」に従い続ける生き方を、僕は好みません。
「自分の希望」が大切です。なかなかできませんが。

でも、「自分の希望」を成し遂げるには、ある程度「義務」を果たす必要があって、その「義務」を果たしたからこそ、「自分の希望」を主張する機会を得られるのです。

なんでこんな事を書いているのか?
それは、僕が今まさにそういう事を考えなければならない状況にあるからですね。
自覚的にならざるを得ない。と言っても、そんなに切羽詰まった状況ではないですが。

僕は、ずいぶん長い事「流されて」生きてきました。10年くらい。
それで失ったものも多いです。
だからこそ、今度はそうはならないぞ、と考えているのです。

人生、ある程度の勉強は必要です。だから、社会の中でそれなりの役割を果たす事は必要です。何より自分の能力を試す機会ですから。

でも、自分の能力を知ったなら、それを生かす事を考えるのは、これ、当然です。
「社会的」自分、「個人的」自分、パラレルに、つまり同時並行にこれを行なう。

さて、「個人的」自分。これを生かすためにはどうしたら良いのか?
今僕が考えているのはそういう事です。
つまり、「自分の希望」を叶える方法とは?

まだ答えは出ません...。
でも、少しずつ進んでいる手応えはあります。
あとは何が足りないのか?それは社会の中で手に入れるしかないですね。
で、再び社会の中に戻っていく。出たり入ったり。
自問、自答。

分かるかなあ、この感覚。

2011年1月10日月曜日

人の人生に関わるという事

今日は、人がそれぞれ抱えている心の「闇」について。

ちょっと重たい話題ですが、ちょっと思うところもあるので書いてみましょう。

人は、それぞれに「闇」を抱えています。
健康な人でも、血管腫の人でも、あるいはあらゆる疾患を抱えている方々でも同じ。

ただ、それぞれにその「深さ」や「サイズ」は違います。表現の方法はいろいろあるでしょう。

まず難しい点は、皆がそれぞれ自分が抱えている「闇」の深さを認識している、理解しているとは必ずしも限らないという事。
自分の事って、意外と分かっていない事があります。
これは、何かの機会を得て、あるいは、何かの弾みで「ふっ」と分かる事が多いです。

もちろん、中には果てしない自問自答を繰り返した後に、ある種の地点へたどり着くケースもあります。
こういう事が出来る人は稀ではありますが。

いずれにせよ、自分が望んだ時に、自分が納得できるような形、内容でこれを得る事は難しいという事です。

難儀な事です...。

もうひとつ。人は誰しもその人なりの「闇」を抱えて生きていますが、その「闇」を共に生きる人というのが現れるという事です。家族であったり、友人であったり、恋人であったり...。

ここで難しいのは、その相手が、こちらの抱えている「闇」を理解しているのかいないのか?という事です。

一般論で言えば、健康な人ほど、その深さは浅い訳でありますが、何らかの問題を抱えた人は、その問題に合った深さの「闇」を抱えている。

この「闇」の深さ。これを共有するためには、同じだけの「闇」の深さを持った(知った)人間の存在が必要となります。

もちろん、これは絶対条件ではありません。
世の中の多数の人は、こういう事に無関心で生きていられるというのもまた事実です。
ただ、自身の中の「闇」を持て余すような状況におかれた時、上手く救いの手を差し伸べてもらえるかどうか、その事を考えた場合、自分と同等の「闇」を抱えた、あるいは理解した人間が存在してくれる事はこの上ない「救い」になります。
つまり、頼りになるという事です。信頼できる。

でも、これはとても厄介な問題で、というのは、普通、人はそんな風に心の「闇」なんて認識していないからです。

だから、自分とは違った深さの「闇」を抱えた人とも分かり合えると簡単に考えがちです。
何とかなるだろう、という楽観視です。
もちろん、それで上手くいく人もいるでしょうが...。
しかし、自分の中に、他の人より深い「闇」を抱えている事を自覚している人にとっては、これは真剣に考えざるを得ない事案です。

事の難しさは、「分かり合うには、その人と同じ深さまで自分の心の中に深く潜っていく必要がある」という点にあります。
お互いにその作業をしなければならないのです。

これって、言うほど簡単な事ではありません。

もし相手には、それほどの悩みも葛藤もなく、従って抱える「闇」もそれほど大きくない、というケースがあったとしましょう。

その相手は、自分の中にはそもそも存在しない「深みの中」に向かっていかなければならない。それも、何の手がかりもなく。

相手を想う気持ち、それだけでは不足なのです。

相手の生い立ち。

生きてきた道筋。

今現在相手が構築している世界。

それらを理解し、それが何を示唆しているのかを理解し、しかしそれを超えた新たな価値観、それを提示できなければならない。
つまり、「生きる希望」です。

しかも、それでもまだ、やっと問題解決の入り口に立ったに過ぎません。

そこから、時間と、手間と、誠意を示し続けなければ、事は前には進まない。
それは、途方もない道筋と言えるでしょう。

成功する可能性は依然として未知数。

それでも、共に人生を歩みたければ、その一念で事に当たらなければならない。


偉そうな事を言っている?そうかも知れない。


でも、自分を偽らず、本当の信頼関係を望むなら、迷わず取り組むべき事であると思います。

それが、あなたが望む幸せにつながっているから。

上手くいく、という確証はない。
それでも、人は一歩ずつでも進まなければならない。

全ては、そこからしか始まらないし、また、避けては通れない道だから。

あとは、あなたの覚悟次第。

さあ、あなただったらどうする?
諦めますか?
それとも、茨の道だと知った上で、一歩を踏み出しますか?

この件については「正解」はない。

自分が正しいと、信念を持つ人だけが、この問題に取り組む。

いつか、報われるかも知れない。全くの徒労に終わるかも知れない。
でも、あくまでも決めるのはあなた次第。

人生、時にはリスクを負う事も必要。
それが、本当に求めるものであれば。

なんだか抽象的な話になりました。
でも、それも仕方がない事。真実とは、具体的ではないのでしょう。
僕の恩師は言いました。

「世の中は全て『メタファ(暗喩)』で出来ている」

今なら、少しは分かるような気がします。

2011年1月2日日曜日

あけましておめでとうございます

新年が来ました。

と言って、何かが変わる訳でもないのですが。

例によって、最近の個人的思考について書いてみます。

僕は学校を出てから、一貫して障害者福祉施設で指導員、支援員として働いてきました。
もう、13年くらい。

施設というのは、多数を相手に仕事をするところです。
複数の利用者を対象として、グループワークを行うと言えば、何となく分かるかな。

でも、僕が今までやってきた仕事のスタンスは、基本的に一対一の対応です。

それは、ひとつとして僕が「カウンセリング」の勉強をやってきたから、という事があると思います。グループセッションというものもありますが、カウンセリングというのは基本的に一対一です。

なので、僕の働き方も自然と一対一を基本としたものとなっていました。
でも、さすがに10年以上現場で働いていると、集団をまとめる役割もやらなければならなくなる訳で、ここ数年はグループをまとめる役どころを任されてきた訳です。

リーダーとして、グループをまとめるお仕事。
違和感がなかったかと問われれば、「あった」と答えるしかないですねえ。
でも、これもお仕事です。割り切ってやってきました。

不思議と、集団を曲がりなりにもまとめる仕事をしているうちに、集団というものを意識した考え方が自分の中に芽生え始めました。と言っても、つい最近の話。

しかし、一旦集団というものを相手に仕事を始めたら、もっと大きな集団についての興味がわいてきました。

つまり、不特定多数の人を対象に何らかの影響を与えるような仕事です。

今までなら考えられない変化です。
一対一の関係についてはずいぶんと考えてきましたが、不特定多数を相手にしたアクションというのは興味の外でありましたから。

でも、リビング・ライブラリーなどを通じて得た経験から、僕も社会に対して何か出来るんじゃないかと考え始めた次第。

一対一の関係は、深まりを見せるところが魅力(面白さ?)でありますが、集団、特に社会というものに対して影響を及ぼすような活動というのも面白いのではないか?
最近考えだしている事です。

一対一というのは、確かに手応えもはっきりしますし、実際目の前にいる人に直接影響を与える訳ですから、成果も分かりやすい。

でも、不特定多数、特に「社会」というものに対して何らかの影響を与えるというのも面白いじゃないか、という事です。

10年以上かけて、僕も少しは変わってきたのかも知れません。
今年は、今までやって来なかった事にもチャレンジしていきたいと考えています。

もちろん、失敗する事も想定内。
それでもやってみる価値はあると見た!

とりあえず、ひとつ企画を上げているところなので、目下の目標はこれを日の目を見る形にまで育てる事。
まだまだ超えなければならないハードルはありますが、そもそも一人で始めた事なので、リスクを背負うのも僕独り。

どういう結果になるにせよ、僕の人生においては重要な経験をする機会であると言えるでしょう。

後は、このブログですね。
今のところ、たいした成果を上げていません。
これも、これからどうしていくのか考えていかねば。

とりあえず、対象者を血管腫当事者や関係者に限るのをやめちゃおうかとも考えています。
リビング・ライブラリーなんかをやっていても、普通の、一般の人も僕の話を聞きにきてくれます。
それを、このブログでやっても良いのかな?と考えだした次第。

なので、これを読んで興味を持った人は、どんどん僕に連絡ください。
可能な限り、対応させていただきます。

人生、いろいろなハードルがありますが、人に話して楽になる事だってありますから。

ご連絡、お待ちしております。

失敗してもいいや、くらいの覚悟でやっております。
まあ、いつかこの経験も役に立つ事があるでしょう。
僕が今出来るのは、今の職場という資源を生かして、どこまでアイディアで勝負できるか。

組織に属しながら、自分のやりたい事をする良いチャンスです。
まあこれが、とりあえずの今年の僕の初めのチャレンジですね。

内容に関しては、まだ何も言えない...。
日の目を見る事があれば、ご報告する事もあるかも知れません。

と言う訳で、今年も昨年以上にいろいろやってみたい、と考えている所存。

幸い、今の僕の職場というのは、やりようによっては「社会」に影響を与える事も出来るところです。効果は限定的ではありますが。

なので、この入れ物を使って、イッチョやってやろう、というのが今年の抱負。

さてさて、どうなる事やら。