ユニークフェイス講演企画

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2011年1月30日日曜日

言い訳(=_=;)

すみません...。

ブログの更新が滞っております。

原因は、忙しさです。仕事が忙しくて、っていうか、仕事自体はほとんど定時で上がっているんですが、頭ん中で考える事が山ほどあって、プライベートの時間に仕事の事を考えて、勤務時間中にそれをアウトプットしている状態です...。

研修企画をひとつ上げなくちゃいけないとか(これはテーマと内容はだいたい決まったので、あとは僕の作文能力次第)、法人に上げたイベント企画について近日中にヒアリングが行なわれるため、内容の確認とか(何聞かれるか分からんので、戦々恐々)、今年度の総括として利用者家族面談が始まっていて、5人の家族と面談しなくちゃならない(利用者数18名なのに5名って、30%に近いぞ、どうなってるんだ?ちなみに普通は2〜3人を担当)とか。

あー!時間が足りないです。頭ん中に空白のスペースが欲しい。

もともと極度にマイペースなので、いろいろなものに捉われると、余裕がなくなってプライベートに使える時間が限られます。

Skypeも最近はほとんどオンラインできないし...。気持ちに余裕が無いんですね。

なので、僕に用事がある方は強制的に割り込みをかけて下さい。
全く時間がないのではなく、思考に時間を割いてしまっている事が多いだけですので、連絡をいただければ、レスポンスできると思います。

一人暮らしだと、他人に干渉される事無く思考に耽ってしまうので内向きになりがちです。

土日はなるべく外に出るようにしていますが、それがかえって自由時間を減らしているという面もあります。悪い事じゃないんですが。

とりあえず、2月20日のMFMSさん主催の「見た目問題」ネットワーク共催イベント〜キックオフ〜には参加できるように調整中。

あ、そうだ。

MyFaceさんにはこの間原稿の依頼があったので、ちょこっと作文を送りました。
リビング・ライブラリーを終えての感想文みたいなものですね。
500字ちょっとなので、たいした事は書いてません。本当は、学生さんの頑張りに感謝、とか、他にもいろいろ思う事もあったのですが、500字くらいでは書ききれませんね。
とりあえず、与えられたスペース内で書きました、って感じです。

以上、近況報告(言い訳)でした。

2011年1月17日月曜日

人の期待、自分の希望

人間、生きているといろいろな人と関わりができます。

家族、友人、同僚、恋人etc...

人間関係の中では、人は誰かに何かを期待し、また期待され、時にそれに応え、あるいははぐらかす。

そんな風に生きています。
考え方は人それぞれで、これまた「正解」はありません。
人によって、全く考え方は違ってきます。

本来、人は自分一人で完結して存在できる生き物です。
あらゆる事を(制限はあるながらも)自分で決定し、生きていく事ができる。

一方で、人と関わらなければ生きていけないという事も事実です。

これ、矛盾しているように見えますね。

でも、人間関係の中にあっても、ぶれない「軸」を持って生きる事は可能ですし、それで多少の摩擦があったとしても、自分の中で決めた事なら「納得ずく」であるはずです。

でも、それを時には愚痴りたくなるのもまた、人間です。
そういうのを「弱さ」だと捉える人もいますね。

でも、自分自身で決めた事であれば、結果はどうあれ、その責任は自分が取るべきであるし、文句を言えた筋合いではありません。

さんざん愚痴っても、結局は自分の中で解決するしかない。

大切なのは、その「次」のアクションにあります。
苦い経験を生かすにはどうしたら良いのか?
次に同じような事があったら、どのように自分は対処するのか?
これを考えなければなりません。
いや、考えない人だっています。何度も何度も同じ間違いを繰り返す、なんて事はざらです。

でも、なんとかしなければ、という問題意識があれば、人はそこに向かって進む事ができます。そのためのチャンスだって、たいてい用意されています。

そこで問題になって来るのが、「人の期待」と「自分の希望」です。

これを両立する事は難しい...。

人に主ねて従う方法もあります。
自分の意見を通して人と袂を分かつ事もあります。

その中間、というのは、なかなか無い。
適当にお茶を濁す事はできますが、そういうのはその場しのぎになりがちです。

さて、そうなってくると、自分が本当はどうしたいのかが重要になってきます。
先々の事を考えて決めなければなりません。
事によっては、人生を左右する事だってあるかも知れないのです。
これは悩みますねえ...。

僕の場合、人に主ねる形をとりあえずとってみる、という方法をとる事が多いです。
それで得られるものは確かにある。いわば、社会から要請される「義務」です。
ただ、いつまでもそのままでいくつもりはありません。
流れに身を任せていても、「ここまで」と決めたところで判断を覆します。
つまり、世の中の決まり事などに従いつつも、ある一線で「自分」というものを保持するための行動を起こす事を、あらかじめ予定している。

仕事なんかが良い例です。

仕事というのは決まり事の固まりみたいなもんです。
それに従わなければ、社会不適応になってしまいます。
だから、自分に課せられた「義務」については可能な限り務めます。
しかし、一旦その「義務」を果たした後には、自分が主張すべき「権利」に忠実に行動します。

そこの見極め、見切りが難しい。
でも、自分を見失わないように生きるためには、こういう取り組みは必須であるように思います。場合によっては、とんでもない変節と捉えられる事もありますが(=_=;)

「人の期待」に従い続ける生き方を、僕は好みません。
「自分の希望」が大切です。なかなかできませんが。

でも、「自分の希望」を成し遂げるには、ある程度「義務」を果たす必要があって、その「義務」を果たしたからこそ、「自分の希望」を主張する機会を得られるのです。

なんでこんな事を書いているのか?
それは、僕が今まさにそういう事を考えなければならない状況にあるからですね。
自覚的にならざるを得ない。と言っても、そんなに切羽詰まった状況ではないですが。

僕は、ずいぶん長い事「流されて」生きてきました。10年くらい。
それで失ったものも多いです。
だからこそ、今度はそうはならないぞ、と考えているのです。

人生、ある程度の勉強は必要です。だから、社会の中でそれなりの役割を果たす事は必要です。何より自分の能力を試す機会ですから。

でも、自分の能力を知ったなら、それを生かす事を考えるのは、これ、当然です。
「社会的」自分、「個人的」自分、パラレルに、つまり同時並行にこれを行なう。

さて、「個人的」自分。これを生かすためにはどうしたら良いのか?
今僕が考えているのはそういう事です。
つまり、「自分の希望」を叶える方法とは?

まだ答えは出ません...。
でも、少しずつ進んでいる手応えはあります。
あとは何が足りないのか?それは社会の中で手に入れるしかないですね。
で、再び社会の中に戻っていく。出たり入ったり。
自問、自答。

分かるかなあ、この感覚。

2011年1月10日月曜日

人の人生に関わるという事

今日は、人がそれぞれ抱えている心の「闇」について。

ちょっと重たい話題ですが、ちょっと思うところもあるので書いてみましょう。

人は、それぞれに「闇」を抱えています。
健康な人でも、血管腫の人でも、あるいはあらゆる疾患を抱えている方々でも同じ。

ただ、それぞれにその「深さ」や「サイズ」は違います。表現の方法はいろいろあるでしょう。

まず難しい点は、皆がそれぞれ自分が抱えている「闇」の深さを認識している、理解しているとは必ずしも限らないという事。
自分の事って、意外と分かっていない事があります。
これは、何かの機会を得て、あるいは、何かの弾みで「ふっ」と分かる事が多いです。

もちろん、中には果てしない自問自答を繰り返した後に、ある種の地点へたどり着くケースもあります。
こういう事が出来る人は稀ではありますが。

いずれにせよ、自分が望んだ時に、自分が納得できるような形、内容でこれを得る事は難しいという事です。

難儀な事です...。

もうひとつ。人は誰しもその人なりの「闇」を抱えて生きていますが、その「闇」を共に生きる人というのが現れるという事です。家族であったり、友人であったり、恋人であったり...。

ここで難しいのは、その相手が、こちらの抱えている「闇」を理解しているのかいないのか?という事です。

一般論で言えば、健康な人ほど、その深さは浅い訳でありますが、何らかの問題を抱えた人は、その問題に合った深さの「闇」を抱えている。

この「闇」の深さ。これを共有するためには、同じだけの「闇」の深さを持った(知った)人間の存在が必要となります。

もちろん、これは絶対条件ではありません。
世の中の多数の人は、こういう事に無関心で生きていられるというのもまた事実です。
ただ、自身の中の「闇」を持て余すような状況におかれた時、上手く救いの手を差し伸べてもらえるかどうか、その事を考えた場合、自分と同等の「闇」を抱えた、あるいは理解した人間が存在してくれる事はこの上ない「救い」になります。
つまり、頼りになるという事です。信頼できる。

でも、これはとても厄介な問題で、というのは、普通、人はそんな風に心の「闇」なんて認識していないからです。

だから、自分とは違った深さの「闇」を抱えた人とも分かり合えると簡単に考えがちです。
何とかなるだろう、という楽観視です。
もちろん、それで上手くいく人もいるでしょうが...。
しかし、自分の中に、他の人より深い「闇」を抱えている事を自覚している人にとっては、これは真剣に考えざるを得ない事案です。

事の難しさは、「分かり合うには、その人と同じ深さまで自分の心の中に深く潜っていく必要がある」という点にあります。
お互いにその作業をしなければならないのです。

これって、言うほど簡単な事ではありません。

もし相手には、それほどの悩みも葛藤もなく、従って抱える「闇」もそれほど大きくない、というケースがあったとしましょう。

その相手は、自分の中にはそもそも存在しない「深みの中」に向かっていかなければならない。それも、何の手がかりもなく。

相手を想う気持ち、それだけでは不足なのです。

相手の生い立ち。

生きてきた道筋。

今現在相手が構築している世界。

それらを理解し、それが何を示唆しているのかを理解し、しかしそれを超えた新たな価値観、それを提示できなければならない。
つまり、「生きる希望」です。

しかも、それでもまだ、やっと問題解決の入り口に立ったに過ぎません。

そこから、時間と、手間と、誠意を示し続けなければ、事は前には進まない。
それは、途方もない道筋と言えるでしょう。

成功する可能性は依然として未知数。

それでも、共に人生を歩みたければ、その一念で事に当たらなければならない。


偉そうな事を言っている?そうかも知れない。


でも、自分を偽らず、本当の信頼関係を望むなら、迷わず取り組むべき事であると思います。

それが、あなたが望む幸せにつながっているから。

上手くいく、という確証はない。
それでも、人は一歩ずつでも進まなければならない。

全ては、そこからしか始まらないし、また、避けては通れない道だから。

あとは、あなたの覚悟次第。

さあ、あなただったらどうする?
諦めますか?
それとも、茨の道だと知った上で、一歩を踏み出しますか?

この件については「正解」はない。

自分が正しいと、信念を持つ人だけが、この問題に取り組む。

いつか、報われるかも知れない。全くの徒労に終わるかも知れない。
でも、あくまでも決めるのはあなた次第。

人生、時にはリスクを負う事も必要。
それが、本当に求めるものであれば。

なんだか抽象的な話になりました。
でも、それも仕方がない事。真実とは、具体的ではないのでしょう。
僕の恩師は言いました。

「世の中は全て『メタファ(暗喩)』で出来ている」

今なら、少しは分かるような気がします。

2011年1月2日日曜日

あけましておめでとうございます

新年が来ました。

と言って、何かが変わる訳でもないのですが。

例によって、最近の個人的思考について書いてみます。

僕は学校を出てから、一貫して障害者福祉施設で指導員、支援員として働いてきました。
もう、13年くらい。

施設というのは、多数を相手に仕事をするところです。
複数の利用者を対象として、グループワークを行うと言えば、何となく分かるかな。

でも、僕が今までやってきた仕事のスタンスは、基本的に一対一の対応です。

それは、ひとつとして僕が「カウンセリング」の勉強をやってきたから、という事があると思います。グループセッションというものもありますが、カウンセリングというのは基本的に一対一です。

なので、僕の働き方も自然と一対一を基本としたものとなっていました。
でも、さすがに10年以上現場で働いていると、集団をまとめる役割もやらなければならなくなる訳で、ここ数年はグループをまとめる役どころを任されてきた訳です。

リーダーとして、グループをまとめるお仕事。
違和感がなかったかと問われれば、「あった」と答えるしかないですねえ。
でも、これもお仕事です。割り切ってやってきました。

不思議と、集団を曲がりなりにもまとめる仕事をしているうちに、集団というものを意識した考え方が自分の中に芽生え始めました。と言っても、つい最近の話。

しかし、一旦集団というものを相手に仕事を始めたら、もっと大きな集団についての興味がわいてきました。

つまり、不特定多数の人を対象に何らかの影響を与えるような仕事です。

今までなら考えられない変化です。
一対一の関係についてはずいぶんと考えてきましたが、不特定多数を相手にしたアクションというのは興味の外でありましたから。

でも、リビング・ライブラリーなどを通じて得た経験から、僕も社会に対して何か出来るんじゃないかと考え始めた次第。

一対一の関係は、深まりを見せるところが魅力(面白さ?)でありますが、集団、特に社会というものに対して影響を及ぼすような活動というのも面白いのではないか?
最近考えだしている事です。

一対一というのは、確かに手応えもはっきりしますし、実際目の前にいる人に直接影響を与える訳ですから、成果も分かりやすい。

でも、不特定多数、特に「社会」というものに対して何らかの影響を与えるというのも面白いじゃないか、という事です。

10年以上かけて、僕も少しは変わってきたのかも知れません。
今年は、今までやって来なかった事にもチャレンジしていきたいと考えています。

もちろん、失敗する事も想定内。
それでもやってみる価値はあると見た!

とりあえず、ひとつ企画を上げているところなので、目下の目標はこれを日の目を見る形にまで育てる事。
まだまだ超えなければならないハードルはありますが、そもそも一人で始めた事なので、リスクを背負うのも僕独り。

どういう結果になるにせよ、僕の人生においては重要な経験をする機会であると言えるでしょう。

後は、このブログですね。
今のところ、たいした成果を上げていません。
これも、これからどうしていくのか考えていかねば。

とりあえず、対象者を血管腫当事者や関係者に限るのをやめちゃおうかとも考えています。
リビング・ライブラリーなんかをやっていても、普通の、一般の人も僕の話を聞きにきてくれます。
それを、このブログでやっても良いのかな?と考えだした次第。

なので、これを読んで興味を持った人は、どんどん僕に連絡ください。
可能な限り、対応させていただきます。

人生、いろいろなハードルがありますが、人に話して楽になる事だってありますから。

ご連絡、お待ちしております。

失敗してもいいや、くらいの覚悟でやっております。
まあ、いつかこの経験も役に立つ事があるでしょう。
僕が今出来るのは、今の職場という資源を生かして、どこまでアイディアで勝負できるか。

組織に属しながら、自分のやりたい事をする良いチャンスです。
まあこれが、とりあえずの今年の僕の初めのチャレンジですね。

内容に関しては、まだ何も言えない...。
日の目を見る事があれば、ご報告する事もあるかも知れません。

と言う訳で、今年も昨年以上にいろいろやってみたい、と考えている所存。

幸い、今の僕の職場というのは、やりようによっては「社会」に影響を与える事も出来るところです。効果は限定的ではありますが。

なので、この入れ物を使って、イッチョやってやろう、というのが今年の抱負。

さてさて、どうなる事やら。