ユニークフェイス講演企画

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2011年2月28日月曜日

自分の経験を人に伝える

これまで、いろいろと思うところを書いてきましたが、自分の経験を人に伝えるのって、思った以上に難しいと感じています。

自分では「え?こんな事で良いの?」という事もあれば、「うーん。これでは伝わらないのか」という事もある。

とりあえず、取り留めなく書き綴って来たものを再点検。

僕は、自分を変える事で社会に適応して来たというのが実感。

周りを変えていこうという事はそんなに意識してこなかったんです。
でも、周りの人間に言わせると、結構押し付けがましく「自分ルール」で生きて来た人間であるらしいです。ハイ。

確かに、僕は日常的に会う人に対してはガードが高いです。
ガードを下げたらイカンと、無意識のうちに壁を作っています。
これからもそれは変えるつもりはないんです。
ガードを下げるのは、あくまでも駆け引きの手段のひとつで、そこでちょっと人間関係にアクセントを付ける事で軽くインパクトを与えるというのが常套手段。

その代わり、時々しか会わない人に対しては、かなりガードが低いです。
これも、僕の社会適応の手段のひとつですね。

社会で生きていると、いろいろな場面で妥協を求められます。
それにいちいち応えていたら、自分なんて存在はすっからかんの空っぽになってしまいます。

自分はあくまで自分らしく。妥協は最小限に。言いたい事はなるべく率直に言いたい。
変に馴れ合っていると、そういう事ってできなくなるからです。

だから、近しい人にほどガードは高く、容易に交わらないというのが僕のスタンス。

一方、たまにしか会わない人にそれをやってしまっては、縮まる距離も縮まらない。
そういうときは思いっきりガードを下げて、本音で話します。

それに、たまにしかコミュニケーションをとれない人からは、なるべく多くのものを吸収したい。だからノーガードで行きます。

話は戻って、自分の経験を人に伝えるというテーマですが、この場合僕のガードは下がります。思い切って自分をさらけ出す事でしか伝わらない事がある。

相手が何を聞きたいのか?自分は何を発信したいのか?準備が必要です。
僕が僕の言葉で表現できる事は限られています。
やはり、何か共通のキーワードをきっかけに話に入っていかなければなりません。

さて、どういう切り口でいけば良いのか?
広く、多くの人に理解してもらうには、それなりに共通言語を使う必要性があります。

多くの人に伝わる文脈。多くの人に理解できる語り。

こういうのは難しいです。でも、やってみる価値はあります。

今、ひとつのプロジェクトが進行中です。

僕の人生の中での経験を、普遍的な表現で人に伝える。そんな機会が訪れそうなんです。
でも、そのためには単に当事者としての一人称の語りでは上手く伝えきれない。

自己満足で終わってはいけない。多くの人に理解できる形で自分の経験を構造化し、客観的な視点からも価値ある情報として伝わらなければ成功とは言えない。

まだ時間があるので、いろいろと試行錯誤してみるつもり。

そして、他者からも共感を呼ぶような内容を提供できればと考えています。
でも、単に同情されるのが目的ではない。

僕はあくまで僕らしく、自分を表現する。しかし、同じように苦しんでいる人の事も伝えたい。

きちんと内容を整理して、まとまった形でお話しできればと考えています。
主観としての現実。客観としての情報の発信。
これを両立させる事。

社会に対して伝えなければならない事がある。そして、個人としてやって来た事がある。
この2つ。

まだ取り組みを始めたばかり。
さて、どこまで煮詰められるかな?

2011年2月27日日曜日

肯定的自己を作り上げる(僕の場合)

今日は、自己肯定感について書いてみます。

幼い頃から僕は、痣のせいでいろいろな困難に直面しました。

周りの子は皆、僕の顔を見ると不思議がったり、気味悪がったりしました。
その都度僕は、親から教えられた通りに「これは生まれつきで、痛くもないし、うつらない」
と、答えていました。

幼い僕は、それ以上に言葉を持ちませんでした。もっと適した言い方があったのかも知れないけれども、幼い僕にはそれ以上の事は言えませんでした。

なので、いじめられたり、からかわれたりしました。でも、言い返せないし、痣は消せないので根本的な問題解決は不可能でした。そこに、努力でなんとかできる余地はありませんでした。

年を重ねるにつれ、どういうタイミングで自分の痣の事をカミングアウトすれば良いのかは分かってきました。
普通に振る舞う事で相手を安心させ、仲良くなりそうな予感がしたら、カミングアウトする。

そんな形で適応しようとしていました。ラッキーだったのか、それほど深刻な状況におかれる事もなく、成長しました。

しかし、小学校を卒業する頃には、単に普通にやっているだけでは「普通」扱いされない事に気づいていました。
人より何か得意なものがないと「普通」には扱ってもらえない。

人より何か、何でも良いから抜きん出るものを持ち、それをアピールする事で「一目置かれる」。そうしなければ、集団の中で匿名性を維持する事は難しい。

それができなければ、何かの拍子にあっという間にからかいの対象に転落してしまう。

僕はスポーツに打ち込んで体を鍛えたり、得意な科目で目立った成績を残すなどして、普通以上の自分を構築する事に忙殺されました。

といっても、体力はついたけど、何かの種目で優秀な成績を収める事はできませんでしたし、得意な科目があると言っても、他の科目はごくごく普通の成績だったので、特に優秀であった訳ではありませんでした。

コミュニケーション能力も、磨かざるを得ませんでした。
それは、話すのが上手、というよりは、議論で負けない能力の獲得でした。

僕は運が良かったのか、論理的思考能力はそれほど低くありませんでしたので、普段からよくよく考えていれば、たいていの議論(単に言い合い)には負けませんでした。
自分の論理を補強するために、いろいろな雑学知識を仕入れました。
中学生の時の愛読書は、「現代用語の基礎知識」だったという、変わった生徒でした。

そういう積み重ねが功を奏したのか、高校生になる頃には、たいていの話題について、普通の生徒が話す内容よりは高度な話をできるようになっていました。
抽象的な議論なら、たいてい相手を論破できました。

でも、所詮僕の知識はその気になれば誰でも手に入れられる程度のものです。

高校を卒業する頃には、もっと高度に専門的な知識を持つ必要性を感じていました。
それも、人間関係を結ぶ上で有効な知識。それが必要だという認識を持っていました。

自然と、大学の学部選びでは哲学や、心理学、といった分野を選ぶようになっていました。
その時点では、まだ将来就職する時に何が必要かまでは考える余裕はなかったようです。
コンピューター流行の世の中になって来ていたので、情報科学関係も考えた事がありましたが、僕としてはあくまでも対人コミュニケーション技術の習得が必須であるというのが、その頃の僕の実感でした。

僕は結局、臨床心理学という当時思いっきりマイナな分野に進む事になりました。
でも、それくらいマニアック、かつディープな分野をやらなければ、普通の人以上にはなれない、と考えていました。

大学に入り、実際専門的な勉強を始めてみると、思った以上に専門的、かつ難しい学問である事が分かりました。奥深さで表現するならば、底が見えない程の深い世界。

でも、その中で延々考え続けました。いつの間にか、自分のコミュニケーション能力を伸ばす事など忘れていました。日々与えられる課題、これをなんとかさばくのに精一杯。
僕は単純に、勉強する事に没頭しました。与えられる課題はどれも難しく、その場その場でなんとか仕上げる、という感じでした。

理論を系統的に学ぶような余裕はなく、いろんな理論を部分的に理解し、それを自分の言葉に置き換え、文章にして具体化する。そんな感じで4年間は過ぎていきました。

大学を卒業する頃になって、自分がスペシャリストとして通用する程のまとまった知識を獲得していない事に気づき、呆然としました。

でも、人が生きる上で考える、一般的な事象については相当な時間を割いて考えていた事は確かでした。

自分が生きる上で必要だと感じていた、物事を論理的に考え、目標に対してどのようなアプローチをとれば良いのか判断する能力は、ある程度ついていました。

簡単なアドバイスなら、人にできるくらいにはなっていました。

その頃には、自分が人と違っているとしても、そんな自分でも人並みに何でもできるという自信がついていました。
もちろん、それは思い込みの部分もあった訳ですが、その時点で自分をある意味肯定的に捉える事ができるようになっていたのは大きな収穫でした。

見た目は普通でなくても、少なくともその事で気後れするような事はなくなっていました。

むしろ、見た目に普通でない自分が、周りの要求に対して億する事なく事に当たれるようになってたのですから、満足感がありました。

就職し、自分の見た目がどうであれ、人と同じように仕事をし、苦手な事はあるにせよ、人並み程度に働く事ができる事が分かると、僕は自分の痣の事など忘れました。

痣の事を気にする人はいたけれども、僕の方では無関心でした。自分に与えられた仕事を全うする事。人が、「大丈夫なのだろうか?」という疑問の目線で僕を見ていたとしても、僕は痣の事などないかのように働きました。

仕事が普通に回っている限り、僕は痣の事など気にせずに社会生活を送れるようになりました。

今でも、仕事をしていると、「ちょっと一目置かれる」立場に自分をおかないといけないという面倒な状況におかれている事は確かです。
普通の人より優秀である必要まではないのですが、人とはちょっと違う視点でモノを見る癖がついています。
「手塚はちょっと変わった人だ」くらいの感じでしょうか。

でも、その「ちょっと違う」事で自分の立場を維持しているのですね。
これからもそれは変わらないでしょう。

面倒くさい事ですが、これだけは仕方がない事なのかも知れませんね。
なんにしても、かれこれ35年間、そういう生き方をして来たので、今更それに不服を言うつもりはありません。
もう慣れちゃったし、おかげで得たものも大きいから不満はありません。

こういう状態を「肯定的自己」と言うのかな...。

そう考えている今日この頃。

2011年2月21日月曜日

見た目問題共催イベント〜キックオフ〜参加しました

2月20日、東京都墨田区「ユートリヤ」にて行なわれました。

僕は「NPO法人ユニークフェイス」を代表して参加しました。
曇り空ではありましたが、だんだんと来場者の方も増え、午後はなかなかの人数が集まっていました。

公開討論会も様々な「本音」が飛び出し、当事者の方からは共感を、一般の方には驚きを与えていました。

パネル展示も一日を通して行われ、ユニークフェイスのパネルにも何人もの方が足を止めていらっしゃいました。

質問をされる方もいて、30分くらい話し込む事もありました。

今回のイベントを通じて感じた事は、インターネットが普及した現代においても、大多数の当事者は自身と同じ疾患を持つ人とのつながりを容易に持つ事はできず、ましてや直接会って話をするという機会はほとんどない。という事でした。

疾患の情報は見つける事ができても、実際の当事者がどのような暮らしをしているのか?どのような人生観を持って生きているのか?を見つける事は困難。

それと、やはり若い世代の抱える悩みは非常に大きいという事を再認識させられました。

若いが故の悩みというのは確かにあります。
それを聞いてあげられる人がいない。どこに行けば良いのか分からない。

周りの普通の人に話しても、どうも通じた気がしない。
そうだと思います。僕だってそうでした。
だから、自身の中で延々考えてしまう。
気がつくと、行動を起こせない自分がいる。
はがゆい。とにかくどうにかしなければならないのだけれど、それは分かっているのだけれど動けない。

社会に出るのが怖い。社会に出られるのかどうか、それを考えただけで恐ろしい。

そうだよね。怖いよね。不安だよね。

でも、それを誰に話したら分かってもらえるのか?

どうだろう?例えば僕にそれができるか?
分からない。でも、聞いてあげる事はできる。自分の経験なら話す事ができる。
それくらいしかできない。

それでも、悩んで、苦しんで、のたうち回るような思いをしているなら、それを話す事で軽くなるものがあるかも知れない。そう考えるので、僕はこのブログを続けている。

話をできる相手を確保しておくのは、自分の人生に対する安全対策として意味がある。

これは重要です。僕である必要はない。けれども、どこかにそういう相手を作る努力をする事で、確実に生きやすくなると思う。

悩んで、悩んで、それでも答えが出ないなら、誰かを頼る事は悪い事ではない。
むしろ、さっさと誰かに頼って問題を片付けて、次の課題に向かうべき。

僕はそう思います。

2011年2月7日月曜日

「見られる」立場から「見る」立場へ

ユニークフェイスな人なら必ず気になる「見つめられる視線」。

自分がどう見られているのか?どう思われているのか?
全く気にならない人というのはいないのではないでしょうか。

しかし、僕はある時点からひとつの事に気がつきました。
これは他の人も気づいている事かな?とは思うのですが。

人からどう見られているかというのはもちろん気になるところではありますが、こちらとしても、相手がどれほどの人間かを見ているのです。

その努力は、たぶん普通の人よりかなり強い。

人を観察して、相手がどのような人物であるか、人に会う度に考える自分がいます。
つまり、相手を値踏みしている。

あ、これはダメだ。と思えば近づきません。

また、その人が興味深い人物であるか、話し合う価値のない人物であるかも評価します。
この能力がないと、ユニークフェイスな人は生きづらい。
これが苦手だと、人間関係で失敗を繰り返しかねないので、こちらも必死です。

ユニークフェイスな人は、これを無意識的にやっている。普通の人より真剣にやっている。

それなら、それを意識化してしまえ。

意識して相手を観察し、自分なりに評価し、位置づけを決めてしまいましょう。
初めのうちは上手くいかない事も多いと思いますが、これは訓練です。
自分が生きやすい環境を作るための訓練。

完全に主観の世界なので、当たっているかどうかは分からないです。
また、自分にとっては有用な人であっても、他の人にとっては迷惑極まりないという事もあります。

また、現時点では好ましい人物であっても、時が経つにつれて良からぬ人物になっていくという事ももちろんあります。

でも、です。だからこそ、日頃から他人をよく観察し、いちいち再評価していく事が肝心ではないか?
その繰り返しの中に自分の人生はある。

面倒極まりない作業ではあります。最初のうちは、これが何の役に立つのか、と思う事もしばしばでしょう。

でも、これは生きていく上ではこの上ない「武器」となります。

仕事をしていても、付き合うべき人なのか、そうでないのかを選別する事ができます。
特に、人と関わる機会の多い仕事の場合、この能力が高いと非常に重宝します。

だから、

「見られる」立場から「見る」立場へ。

視点を転換してみませんか?

自分がどう見られるかは、自分ではどうする事もできません(好ましく見える工夫はする余地がたくさんあるけど)。

でも、自分が人をどう「見る」かは、自分次第。
何も人のあらを探せと言ってるのではありません。どんな人にだって、欠点はあります。
重要なのは、他人の中に自分にとって得である要素を見つける事です。
そして、その「得」になる部分にフォーカスを合わせて付き合えば良いのです。

逆に言えば、基本的には合わない人でも、仕事上では協力する事で自分にメリットがある、といった状況を見極める事もできるのです。

見られる事に意識を奪われないで、人を観察する生き方を選びましょう。
そうする事で見えてくる幸せがきっとあります。

かく言う僕も、それほどの「目利き」ではないんですが(=_=;)
でも、「目利き」でありたいとは思っています。
だって、その方が絶対楽しいし、楽できるし。

「見られる」受け身より「見る」積極性を!
発想を転換して、見える世界を一変させちゃいましょう!
与えられる人間関係ではなく、自ら選ぶ人間関係を構築しましょう!
後ろ向きな理由ではなく、前向きな理由で。

2011年2月2日水曜日

「見た目問題」ネットワーク共催イベント2011〜キックオフ〜

来る2月20日(日)10:30〜17:00
東京都墨田区「ユートリヤ」にて

イベントが開催されます。
「見た目問題」を切り口に社会的偏見をなくしていこう!という取り組みです。
様々な団体から様々な当事者が参加して来る事がとーっても大きなトピックスです。

今までこのようなイベントはありませんでしたから。日本初。
もちろん一般の方の参加を期待してのイベントでもあります。

当日、僕は何と畏れ多くも「NPO法人ユニークフェイス」として参加する事になりました。

言ってみれば、ピンチヒッタです。
行きがかり上、僕がたまたま程よいところにいた、というだけの事なんですが。

現段階で参加団体は7つ。

・日本アルビニズムネットワーク(JAN)
・円形脱毛症を考える会(ひどりがもの会)
・眼瞼下垂の会
・アルビノ・ドーナツの会
・痣と共に生きる会Fu*clover(フクローバー)
・マイフェイス・マイスタイル
・NPO法人ユニークフェイス
(順不同)

となっております。これで一応確定です。
内容としては、各団体のパネル展示。ステージ企画(討論会など)。となっております。

当日、各団体5分ずつのスピーチがあるらしいんですが、これって、僕がやる?んだよね?
おおおお。責任重大!

やあ!安請け合いした分責任重いわ!<無責任な上に意味不明

とりあえず、告知できるところには片っ端から告知をかけてます。
参加者募集!来たい方は申し込みなどありませんので、当日直接現地へお越しください。

お問い合わせは
マイフェイス・マイスタイル(MFMS) http://mfms.jp/

イベントページ http://mfms.jp/mfms_news/2011/0129/event201102.html

です。
よろしくお願いしまする〜。