ユニークフェイス講演企画

Loading...

2012年12月3日月曜日

明治大学ヒューマンライブラリー


今年も参加してきました。
駒澤大学と同じく3年目です。

今回の舞台は和泉キャンパス。

最近のHLでは原稿などを特に用意せず、「読み手」が興味を持っている事が何なのかを聞いて、それに合わせてお話ししています。
「どの辺に興味を持たれていらっしゃったのですか?」
と、はじめに聞いてしまいます。

そうすると、大抵の方は「実は…」とお話しして下さるので読者の方が聞きたい事にはじめから焦点を当てて話を始められます。
本当は概論的なところからきちんと話した方が良いのかも知れないのですが、30分という限られた時間の中で読者の方が納得いくお話をするのは、結構難しいのです。

そんな訳で、全くのアドリブ状態のHLスタート。

例によって読者の方のプライバシーもありますので、詳細はお話しできないのですが…。
ここ最近のHLで必ず出てくるテーマがあります。

それは、「自己肯定感」の話題。

僕のところには、何らかの当事者の方(ユニークフェイスだけでなく)が来る事が多いのですが、今回もそれが顕著でした。ざっと挙げると
・アルコール依存の方
・摂食障害の方
・鬱病の方
・ユニークフェイス(見た目問題)な方
などなど。

そんな、自らも悩みを抱えた方達が口々にお話しされるのがこの「自己肯定感」のお話なんですね。

簡単に言えば、
「どうしたら自己肯定感が持てるのか?」
という問いかけです。

今までに何度となく投げかけられてきた問いです。
僕も、「コレ」という返答を出せずにきていた問題です。

自己肯定感

この言葉って、最近すごく頻繁に聞くんですが、皆さんどういう意味で使っているのでしょう?
僕は、すごく定義の難しい言葉だなあ、と思っていました。

自分は正しい。間違っているのは周り(社会)だ。

って考えるだけで、ある意味自己肯定感て成り立つんですよ。
ただ、それだと社会に適応できない訳です。社会に認められない。
だから、また自信喪失のループへ戻っていく。
これを繰り返している内に疲れ切ってしまうのがよくあるケースなのかな、と思います。

じゃあ、この考え方は間違っているのか?

……。
それがね、間違ってるとまでは言えないと思うのですよ。

そりゃあ確かに、社会に絶対的に支持される自己像を作り上げる事ができたらどんなに良い事かと思いますよ。
でも、そんなの無理じゃないですか。「絶対的に」なんていうのは。
そうやって考えてみると、これって「程度」の問題なのかな?と、ぼんやり先が見えてきました。

僕自身に照らし合わせて説明してみましょう。
僕はどうやら、「自己肯定感」を持って生きている人間であると周囲からは認識されているようなので、ここではそのような人として扱います。

そんな僕とはどんな人間か?
血管腫が顔にあり、人とは違う見た目を持ち、人から避けられたり無視されたりしながら生きてきたにもかかわらず、普通に就職をして、結婚もして、離婚もして…。

差別を受けながらもその事に悲観的にならず、割と楽しく好き勝手に生きている。

明らかに生きにくそうな状態にありながら、人前に出る事を避けたりせず、むしろ出たがりであったりする。

目立ちたくなさそうな外見を持ちながら、お洒落はしたいし目立ちたい。

割と堂々としていて、悲壮感もない。

ざっくり言うとこんなとこでしょうか?
確かに不思議な人物ですね…(笑
こんな人が身近にいたら、「どうしてこの人こんなに図々しく生きられるんだろ?」って思いますね。
矛盾しそうな点もありますし。目立ちたくないのに目立ちたいとか。

他人事のように書いてしまいましたが、僕はあえて「人からどう見えるか?」を自分の行動にはあまり反映させないので、本当に他人事のようです。

さて、そんな僕の「自己肯定感」の持ち方、維持の仕方、ですが。

人にはそれぞれその人なりの「器」みたいなモノがあるじゃないですか。
ただ、その器の大きさって分からない。分からないのが普通。
でも一般論として、一部の偉人をのぞいて大多数の人は「普通」の器なんですよね。
99.9%まで「普通」。

だから、僕は自分に「平均点」を求めてます。
僕の目標は基本的に平均点を超える事。あるいは維持する事。
でもでも、それで終わりではないですよ。

自分が、「できる」と思った事、「やりたい」と思った事、「得意だ」と思った事に関しては行けるところまで行きます。

逆に、自分が「苦手だ」と思う事も当然あります。
数字苦手だし、タスクが3つを越えると管理ができなくなってくるし、偉い人でも平気で喧嘩売っちゃうし、話はどんどん飛んでいっちゃうし、短期記憶も怪しいし(?)、人の名前を覚えないし(??)…。

ほら、話が脱線した(笑

話を戻すと、得意なところはなるべくレベルを上げる。それで苦手なところを補う。
トータルでマイナスにならないようにバランスを考える。
それでもダメなら全体の底上げを考える。

あくまでも自分の中で目標は決めて、自分の目標をターゲットに生きています。
ただ、目標を決めるにあたっては、社会の物差しを基準にするんです。
ここ、重要です。
あくまでも「社会の物差し」を基準にする。

社会の物差しを基準にしていれば、社会で生きられない事はないんです。
つまり、僕の「自己肯定感」は基本的に社会で生きていける事を基準にしているんです。

で、ここからがさらに重要、っていうか本論なんですが。
そういう社会の物差し、つまりは社会に認められる自己像をどこまで追い求めるかという話になってきます。「絶対的」をどこまで目指すのか。

完璧主義の人ほど、「もっと、もっと」と頑張ってしまうんですよね。
でも僕は、「この辺で良いか」とさっさと諦めてしまう。社会で生きられる範囲で適当なところで社会の物差しに沿う事をやめてしまう。

そうすると、余った時間や労力で、やりたい事やれるじゃないですか。
何も本当に思いつきで「絶対的」を放棄する訳じゃないですよ。
前記した「自分の目標」に沿って、それ以上は追わない、という事です。
それによって余裕ができる。
周りからは楽に生きているように見える(実際にはそんなに楽じゃないんだが)。
自分らしく、堂々と生きているように(結果的に)見える。

さてどうでしょう?
僕は結局のところ、社会の価値観にある程度合わせた上で、ある地点からは「自分ルール」で生きるという方法をとっている。

社会から排除されないレベルを目標にしていながら、「自分が正しい、周りが悪い」とも言っている。
そういう、ある種の狡さがキーポイントのような気がします。
真剣に悩めば悩むほど、取り組めば取り組むほど、ずる賢く行動できない。
そういう事ってあると思うのですよね。
真面目な人ほどそういう傾向がある。


ああっ!
ごめんなさい!
まだ考えがまとまり切ってないので、文章がまとまってません!
ここまで読ませておいて申し訳ないけれど、結局結論が出せません!

課題だなあ…。
僕は「下書き」とかしないので、未完成なままでUPしちゃいます!